白山:写真
越前禅定道−越前禅定道とは越前(福井県)側から白山(御前峰)の山頂に至る信仰の道の事で、越前国の白山信仰の最大の拠点となった平泉寺白山神社(福井県勝山市)の境内を起点としています。平泉寺白山神社の境内最奥地に鎮座する「三宮社」の脇から禅定道が延び、金剣宮→三頭山→弁ヶ滝→稚児堂跡→法音寺跡→法恩寺山→伏拝→和佐盛平→小原峠→川上御前社→市ノ瀬(旧白山温泉)→六万山→五輪坂→仙人窟→餓鬼ヶ咽→蛇塚→八幡社跡→室堂→白山(御前峰)に至ります。
平泉寺白山神社−平泉寺白山神社は泰澄大師が白山を開山する過程で当地を訪れた際、神泉を発見した場所に、別当寺院として創建した平泉寺を前身としています。平泉寺は越前馬場の最大の拠点として大きく発展し歴代領主からも庇護を受けました。明治時代に神仏分離令と修験道廃止令が執行されると廃寺となり、平泉寺白山神社に改められましたが衰退を余儀なくされました。
弁ヶ滝と稚児堂跡−案内板によると「弁ヶ滝は、法恩寺山の西の山中、ここより200mばかり登山道を上りつめたところにあり、白山平泉寺の全盛時代(中世)を描いた「白山天嶺図」(平泉寺白山神社所蔵)にすでに見える名所です。いつの昔のころか定かではないが和光という容顔端麗の稚児が、わけあってこの滝に身を投げしました。相思相愛の仲にあった弁の君もまたこれを悲しみ、ここに身を投げたという悲恋の物語が「越前国名勝志」に伝えられています。」とあります。弁ヶ滝は谷出川の上流に位置し、滝高さ約40m、稚児堂は弁ヶ滝に身を投げた弁の君が祭られています。弁の君は和光の子供を身ごもっていた事から、胎児の供養の為とも、又、弁ヶ滝は平泉寺白山神社を拠点とする行者の修行の場だったとされます。
法音寺−法音寺は白山の第三の室でしたが、廃寺となり現在は小堂だけが建立されています。法恩寺山の名称は法音寺の寺号が由来になっていると云われています。
伏拝−伏拝は標高1360mの高所で見晴らしが良く白山を望める事から遥拝所だった所です。
小原峠−勝山市北谷町小原と石川県白山市白峰の間にある峠で、泰澄大師が当地で道に迷うと三本足の白雉が出現し大師を導いた事から雉子上峠の別称があります。
川上御前社−祭神である川上御前は、紙漉きの紙祖神として信仰される神様で、泰澄大師が白山の登拝を試みた際、霊夢に出現し山頂まで導いたとされます。往時は泰澄大師が自ら彫刻したと伝わる神像が祭られていましたが朽ちて、近年改めて再建されています。
市ノ瀬−市ノ瀬は越前禅定道の宿泊所が設けられた場所で、往時は堂宇が設けられ修行場の1つだったそうです。平泉寺白山神社の管理下に入ると、僧侶が詰めて入山料を徴収し白山山頂の整備費に賄われました。登拝道は市ノ瀬を堺にして急坂となっています。
剃刀窟−泰澄大師が剃髪したと伝えられています。
越前馬場:平泉寺白山神社:写真
越前馬場:平泉寺白山神社:写真
越前馬場:平泉寺白山神社:動画
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