名 称 | 内 容 | 場 所 |
・聖運寺 |
○山門は大正時代の建物で、入母屋、本瓦葺、三間一戸、八脚楼門。田中長嶺縁の地でもあり、著書である「明治殉教絵史」は西尾市指定文化財に指定され、遺骨が境内に埋葬されています。
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・養寿寺 |
○養寿寺は大同元年に勤操阿闍梨によって創建された寺院です。長く当地を支配した吉良家から庇護され、戦国時代には吉良家に入った矢田姫が徳川家縁の人物だった事から徳川家康から寺領が寄進され、江戸時代には歴代西尾藩主から庇護されました。鐘楼門は江戸時代初期に三河西尾藩の第2代藩主土井利意が造営したもので入母屋、本瓦葺、三間一戸、2重楼門、西尾市指定文化財に指定されています。
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・鳳来寺 |
○鳳来寺は大宝2年に文武天皇の勅願で利修仙人により創建された古寺で、奈良時代には聖武天皇から「鳳来寺」の勅額を賜っています。中世に入ると源頼朝が祈願所として庇護し、その後は歴代領主が庇護しています。戦国時代に入ると、松平広忠が子宝祈願を行い、その後徳川家康が生まれた事から松平家、徳川家の庇護となりました。江戸時代に入ると、その故事を知った3代将軍徳川家光が境内に東照宮を造営し、鳳来寺の堂宇も整備しました。明治時代の神仏分離と廃仏毀釈により衰微しましたがその後再興しています。山門(仁王門)は江戸時代初期に建てられたもので、入母屋、銅板葺、三間一戸、八脚楼門、国指定重要文化財に指定されています。
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・総持寺 |
○総持寺は嘉祥3年に慈覚大師により創建された古寺です。当時は隣接する知立神社の別当寺院で神宮寺と称していましたが、その後、上野寛永寺の末寺となり、現在の寺号である「総持寺」に改称しています。明治時代の神仏分離令と廃仏毀釈運動により廃寺に追い込まれましたが、昭和に入り現在地に境内を移し再興しています。竜宮門。
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・宝蔵寺 |
○宝蔵寺は喜祥3年に創建された古寺で、正徳5年に中興しています。境内には加賀井重望と失態の詰め腹を切った付き人の墓碑が建立され知立市指定史跡に指定されています。山門は入母屋、桟瓦葺、一間一戸、四脚鐘楼門。
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・了運寺 |
○了運寺は知立神社の別当寺院を担った神宮寺の一坊だった寺院です。当初は、神宮寺を開山したとされる慈覚大師円仁の教えから天台宗でしたが、室町時代中期には浄土宗に改宗しています。寺宝の法然上人御絵伝は知立市指定文化財に指定されています。山門は入母屋、桟瓦葺、一間一戸、四脚鐘楼門。
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