岩木山神社: 楼門

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岩木山神社(青森県・弘前市)

岩木山神社(青森県・弘前市)概要: 岩木山神社は古代から霊山として信仰の対象となっていた岩木山を御神体として祭る為に創建された古社で、当初は山頂にに設けられた祠でした。真偽は不詳ですが平安時代初期に津軽まで遠征してきた坂上田村麻呂が戦勝祈願を行い、東夷平定後に神意に感謝し社殿を造営したそうです。その場所が、現在の境内から見ると山頂越しの反対側に位置する巖鬼山神社の境内だったとされ、その後、神託が下り現在地に遷座したと伝えられています。岩木山神社が神仏習合した後は別当寺院である岩木山光明院百沢寺が祭祀を司るようになり仏教色が強い信仰になりました。鎌倉時代に入ると、現在でも続けられている「ヤマカゲ」と呼ばれる民間行事の祖型が発生したとされ次第に信仰の形体が形作られていきました。歴代領主から崇敬庇護され、特に江戸時代には弘前藩主津軽家により社領400石が与えられ、荘厳な社殿が造営され「奥日光」の異名がありました。神門(神社山門)は寛永5年(1628)に2代藩主津軽信枚によって造営されたもので入母屋、銅板葺、五間三戸、12脚楼門、総高17.85m、外壁は朱塗り、下層部には随神が安置されています。岩木山神社楼門は国指定重要文化財に指定されています。

岩木山神社は古代人の素朴な自然崇拝から、日本の神に置き換えられ、さらに山岳信仰へと移行した典型的な神仏習合の神社で、信仰の源となった岩木山の3つの頂にはそれぞれ小堂が設けられ、中央の岩木山は国常立命と本地仏である阿弥陀如来像、南西の鳥海山は大己貴命と本地仏である薬師如来像、東の巌鬼山は国安珠姫命と多都比姫命と本地仏である十一面観音像が祭られ、岩木山三所大権現と呼ばれていました。さらに、山頂には岩木山神社の奥之院にあたる御室が設けられ、当初は十一面観音像、後に聖観音像が祭られていました。麓に設けられた岩木山神社の社殿の本殿は神道の色彩が強く正面左から大己貴命、国常立命、多都比姫命と山頂と3つの頂と同じ並びで祭られていました。拝殿は事実上の百沢寺の本堂(大堂)で内陣と外陣には明確な間仕切りがあり、須弥壇の背後には来迎壁があるなど仏教色が強く、やはり、岩木山の山頂と同じ並びで、中尊を阿弥陀如来像、脇侍として左側が薬師如来像、右側を十一面観音像が安置され、三尊を取り囲むようにして四天王像(多聞天像・天目天像・持国天像・増長天像)が護っていました。楼門は百沢寺の山門で、下層部両側には仁王像、上層部には中尊が十一面観音像、それを取り囲むように五百羅漢像が安置され、?生神(人の善悪を記録し死後に閻魔大王に報告する神)が祭られていました。

岩木山神社は明治時代の神仏分離令により山頂の御室の聖観音像は専称院(大鰐町)に、拝殿に安置されていた阿弥陀如来像、、薬師如来像、十一面観音像の3尊は長勝寺(弘前市)、四天王像は専称院(大鰐町)に、山門の十一面観音像の移設先は不詳、五百羅漢像の内約100躯は長勝寺(弘前市)、残りは不詳、仁王像は最勝院(弘前市)にそれぞれ移されています。又、本堂(大堂)は内陣と外陣の間仕切りと来迎壁が取り除かれ、岩木山神社の拝殿として活用され、百沢寺の庫裏だった建物は岩木山神社の社務所に転用されてます。日本神社百選

岩木山神社:動画

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