対泉院(青森県・八戸市)概要: 対泉院は南北朝時代に南部家の家臣新田氏によって山梨県倉見山に創建した寺院です。南部家は源義光(新羅三郎義光:河内源氏の2代目棟梁である源頼義の3男)を祖とする甲斐源氏の一族で、当初は甲斐国南部郷(現在の山梨県南部町)を本拠とし、鎌倉時代初期の奥州合戦(奥州藤原氏掃討戦)で大功を挙げ陸奥国糠部五郡が与えられています。明徳4年(1393)に根城南部氏が本拠を根城(青森県八戸市)に移すと対泉院も従い、さらに江戸時代初期に遠野(岩手県遠野市)に移封になると同様に従った為、当地の対泉院の境内は荒廃します(遠野市の対泉院の境内には新田家歴代の墓碑が建立され由緒を伝えています)。その後、盛岡藩の初代藩主に就任した南部利直によって再興されています。山門は江戸時代後期の10世霊胤玄明の代に起工し、12世聖山英賢の代に竣工した建物で、入母屋、銅板葺、三間一戸、八脚楼門、上層部に花頭窓、高欄付、上層部には文化8年(1811)に奉納された十六羅漢像、下層部左右には同じく文化8年(1811)に奉納された仁王像が安置されています。対泉院山門(楼門)は八戸市指定文化財に指定されています。
対泉院:動画
根城:動画
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