大井宿: 長国寺(楼門)

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長国寺(岐阜県:大井宿・楼門)

長国寺(岐阜県・恵那市)概要: 長国寺の前身とされる長興寺は、伝承によると、聖徳太子が百済(当時の朝鮮半島にあった国家)から日本に運ばれた霊木から観音像を自ら彫刻し、法隆寺夢殿(奈良県生駒郡斑鳩町)に安置したところ、神々しい光を放ちながら遠く空に飛んで行って姿を消したそうです。暫くすると大井の地に出現し、それを見つけた恵那の住民三郎は仏意と悟り一宇を設けて祭ったと伝えられています。その後、元慶5年(881)に覚源和尚により再興し、寺号を船岡山長興教寺に改めました。平安時代末期頃には西行法師が現在の恵那市中野に草庵を設けて3年間修業に明け暮れ最期を迎え、長国寺に埋葬されたという伝承が残され、長国寺に近い山中には室町時代末期に建立され西行塚(高さ1.4mの五輪塔・岐阜県指定史跡)が築かれています。鎌倉時代に入ると広く信仰されるようになり、信濃国(長野県)出身の御家人、根津甚平が子宝祈願を行い、見事念願成就した後に仏意に感謝し馬具(恵那市指定文化財)を奉納しています。戦国時代には兵乱により境内が荒廃しましたが、安土桃山時代に體巌雲恕びよって再興され、寺号を長国寺に改め、曹洞宗に改宗しています。山門は入母屋、本瓦葺、正面唐破風、一間一戸、四脚楼門、上層部外壁は真壁造り板張り、花頭窓、高欄付。

【 大井宿 】−長国寺が境内を構える大井宿(恵那市)は中山道の宿場町として成立した町で、枡形が6箇所も設けられた特徴ある町割りが残されています。枡形は一般的な宿場町では防衛を主眼としていた為、上下の出入り口付近や、宿場の中央に設けられた為、1〜2か所が普通で多くて3か所程度ですが、大井宿の場合、各町毎に垂直に折れ曲がる枡形が配されています。理由は不詳ですが、元々大井城の城下町だったとも、新しく城を築く予定があったからとも云われますがはっきりとした資料や記録が残されてはいません。実際、大井宿は中山道と名古屋城の城下町を結ぶ下街道との分岐点に近い事から軍事的にも重要視されていたと思われます。大井宿の本陣は代々林家が歴任し、屋敷内には幕末に皇女和宮が林家で昼食に立ち寄った際に出された井戸(和宮泉:和宮の水守役だった山城守が「良水これに勝るものなし」と絶賛した。)や表門、老松が残され岐阜県指定史跡に指定されています。大井宿には大井村庄屋古山家(ひし屋 資料館:恵那市指定文化財)や、宿役人の家、大井宿下問屋跡、明治天皇大井行在所、旅籠屋角屋(見付屋)、大井村庄屋古屋家などが残され宿場町らしい町並みを見る事が出来ます。

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