弘経寺: 楼門

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弘経寺(茨城県・結城市)

弘経寺(茨城県・結城市)概要: 弘経寺は安土桃山時代の文禄4年(1595)に結城秀康(徳川家康の次男)の娘である松姫が早世した事を受け、その供養の為、弘経寺(茨城県常総市)の住職檀誉存把を招いて創建された寺院です。院号である「松寿院」は松姫の戒名「松樹院梅心芳薫大童女」に因むもので、結城氏縁の寺院として庇護されました。慶長5年(1600)の関ケ原の戦いで秀康は徳川家一族として上杉景勝の侵攻を牽制した功により福井藩(福井県福井市・本城:福井城)に移封になると、庇護者を失い一時衰退しましたが、江戸時代に入ると徳川将軍家の庇護を受け3代将軍徳川家光からは寺領50石を安堵、さらに慶長年間(1596〜1615年)に学問所である浄土宗白旗流関東18壇林が設置され文政年間(1818〜1830年)には10軒の学寮があったとされます。江戸時代中期には与謝蕪村が長期に逗留し、その間制作した襖絵10幅が残されており、何れも茨城県指定重要文化財に指定されています。弘経寺山門は入母屋、銅板葺、三間一戸、八脚楼門、外壁は真壁造り板張り、上層部には毛利輝元が徳川家康に献上した釈迦如来坐像が安置、両側には象眼窓、高欄付、「寿亀山」の山号額が掲げられています。

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