宮城県の楼門建築3

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名 称
内   容
場  所
・竹駒神社○竹駒神社の創建は承和9年(842)、当時の陸奥守とされる小野篁卿によって創建された古社です。平安時代には奥州藤原氏、江戸時代には仙台藩主伊達家から崇敬庇護されて社運も隆盛しています。文化4年(1807)には正一位の神階を受けるなど格式が高く、日本三稲荷に数えられています(日本三稲荷については諸説あり)。随神門は文化9年(1812)に建てられたもので、三間一戸、入母屋、銅板葺、八脚楼門、江戸時代後期の楼門建築の遺構として貴重な事から岩沼市指定文化財に指定されています。

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・宮城県
・岩沼市
・横山不動尊○横山不動尊は保元元年(1156)に百済国(当時の朝鮮半島に存在した国家)出身の西條重信が志津川湾水戸辺浜に上陸し、当地を霊地と悟り一宇を設けて創建したのが始まりとされます。その後、真言宗の明王山金剛寺が別当寺院となっていましたが、永正元年(1504)に領主である男沢蔵人が曹洞宗の寺院として改宗開山し寺号を「白魚山大徳寺」に改めています。江戸時代に入ると仙台藩の藩主伊達家の祈願所として庇護され、堂宇の造営や寺領の寄進が随時行われ寺運も隆盛しています。山門は三間一戸、入母屋、銅板葺、八脚楼門。

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・宮城県
・登米市
・定義如来○定義如来(西方寺)は平安時代末期の壇ノ浦の戦いで敗れた平家一門の平貞能が、この地まで流れ着き、平重盛から託された阿弥陀如来の宝軸を本尊として祭る為に創建されました。平家の落ち武者だった事から密かに祭られていましたが、江戸時代中期に貞能の家臣の後裔を自称する早坂源兵衛が仏門に入り、正式な寺院「極楽山西方寺」として開山しています。その後、信仰が広がり遠方からも参拝者が訪れるようになり、現在では宮城県を代表する観光地の1つとなっています。山門は昭和6年に造営されたもので、三間一戸、入母屋、銅板葺、八脚2重楼門。

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・宮城県
・仙台市
・塩釜神社○塩釜神社は当地を開発した武甕槌命と経津主神の先導だったとされる塩土老翁神が製塩技術を教えた事に感謝した住民が祭ったのが始まりとされます。平安時代に入ると度々記録にも記載されるようになり、陸奥国府が置かれた多賀城と隣接し、全国的も高額な祭祀料壱万束の寄進を受けている事から特別な存在だった事が窺えます。鎌倉時代には陸奥国一宮として認識されていたようで、歴代領主から篤く庇護されました。江戸時代に入ると仙台藩主伊達家の崇敬社として社殿の造営や社領の寄進が随時行われ社運が隆盛しています。随神門は宝永元年に造営されたもので、三間一戸、入母屋、銅板葺、八脚楼門、国指定重要文化財に指定されています。日本神社百選

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・宮城県
・塩釜市
・八島家住宅○八島家は奥州街道岩沼宿の本陣(大名など身分が高い人物が宿泊や休息で利用出来る施設)と南町検断(軽犯罪の警察権、司法権を行使出来る役職)を兼ねる宿場の実力者でした。表門は江戸時代に建てられたもので、三間一戸、切妻、桟瓦葺、両側の長屋から桁が張り出し、そこに2階を載せる独特な楼門建築。

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・宮城県
・岩沼市
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