正満寺: 楼門

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正満寺(長野県・長野市)

正満寺(長野県・長野市)概要: 正満寺は弘治2年(1556)、綿内周辺を支配した井上信満が嫡男である井上正満の死を悼み創建した寺院です。井上家は平安時代に源頼信の子供である頼季が上高井郡井上(現在の長野県須坂市)土着し井上姓を名乗った以降、長く井上城(長野県指定史跡)を拠点として当地域を支配していましたが武田信玄(躑躅ヶ崎館の城主)の信濃侵攻により上杉家を頼り越後に退去しました。一方、有力一族だった綿内井上氏は春山城(長野県長野市)を拠点とし弘治2年(1556)に井上信満が主家を見限り武田信玄に与した為、旧領が安堵されその一環として菩提寺となる正満寺の創建が行われたと思われます。しかし、天正10年(1582)に武田家が滅ぶと、上杉景勝(春日山城の城主)が北信濃に南下した事を受けて、上杉家に従い安土桃山時代の慶長3年(1598)に上杉景勝の会津移封に伴い綿内井上氏は当地を離れています。江戸時代に入ると徳川将軍家の菩提寺増上寺の住職を担った倫誉念海や慧旭等の高僧を輩出しています。山門は元禄17年(1704)に造営されたもので、一間一戸、入母屋、桟瓦葺き(鯱付き)、四脚鐘楼門、上層部吹き放し高欄付、「光濃山」の山号額、長野市指定文化財に指定されています。

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