明音寺: 楼門

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明音寺(長野県・箕輪町)

明音寺(長野県・箕輪町)概要: 明音寺は室町時代後期の享禄3年(1530)に当寺の松島城の城主である松島政行が大旦那となり一峯慶文大和尚が開創、師である大仲霊乗大和尚(静岡県静岡市:真珠院3世)を開山一世として迎えて創建された寺院です。松島氏は小笠原氏の流れを汲む一族が松島を領する事となり地名に因み「松島」姓を名乗った事が始まりとされ、明音寺の大旦那となった政行は2代目で享禄4年(1531)に没すると松島城の城内に明音寺の住職が墓碑(蓑輪町指定史跡)を建立しています。弘治2年(1556)に武田信玄(躑躅ヶ崎館の城主)が伊那に侵攻すると当時の城主(4代目?)松島信久は周辺の土豪達と反旗を翻しましたが、鎮圧後に処刑され、松島氏も没落したと思われます。江戸時代には朱印地4石を賜り、富小路家の祈願所になるなど繁栄し末寺5カ寺を擁しました。明音寺の境内は三州街道の道筋に近く信州伊那諏訪八十八ヶ所観音霊場第五番札所に選定されている事から多くの参拝者が訪れたと思われます。明音寺山門は江戸時代中期の享保3年(1718)の造営で、三間一戸、入母屋、銅板葺、八脚楼門、下層部左右仁王像安置、棟梁は丸山茂兵衛、箕輪町指定有形文化財に指定されています。

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