碩水寺: 楼門

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碩水寺(長野県・筑北村)

碩水寺(長野県・筑北村)概要: 碩水寺が何時頃から信仰されていたのかは不詳ですが、室町時代後期の享禄元年(1528)に領主である青柳清長が清原寺(長野県安曇野市穂高有明)2世天如桂樹和尚を招いて曹洞宗に改宗させ、自らの菩提寺としています。青柳氏は武田信玄(躑躅ヶ崎館の城主)の信濃侵攻に伴い武田家、武田家が滅亡すると織田家、本能寺の変で織田信長(安土城の城主)が倒れると上杉家、小笠原家が北信濃に入ると小笠原家に従いましたが、天正15年(1587)に当主青柳頼長が深志城(長野県松本市:現在の松本城)に呼び出された際、小笠原貞慶の命で暗殺され、青柳家は没落しています。碩水寺はその後に領主となった小笠原家の庇護となり源平盛衰記が寄進され寺宝となっています。江戸時代には徳川将軍家が寺領10石を安堵され複数の末寺を擁し寺運も隆盛しました。山門は江戸時代後期の嘉永元年(1848)の建物で、三間一戸、入母屋、桟瓦葺き、八脚鐘楼門、外壁は上層が柱のみの吹き放し、高欄付、下層は下見板張り、月宗胡和尚揮毫「龍澤山」山号額、筑北村指定文化財に指定されています。境内には青柳清長(龍沢院殿柳山長清大居士)と青柳頼長(柳庵院殿柳室浄青大居士)の墓碑が建立されています。

青柳宿は元々、青柳氏の居城である青柳城(長野県指定史跡)の城下町でしたが、江戸時代に入り善光寺西街道が開削されると、宿場町として改めて町割りされています(城の麓には青柳氏の菩提寺である清長寺が境内を構え、その下が武家屋敷の遺構とされます)。青柳宿の総延長は約600mで、水平方向に「横町」、垂直方向に「下町」と「中町」が続き、丁度L字型の珍しい町並みとなっています。又、「下町」と「中町」は傾斜地に町割りされた事からその区間の街道は全て坂道で、屋敷割毎に石垣で造成されています。屋敷の前面には石垣で組まれた水路が設けられ特徴的な町並みが形成され、坂道を登り切った所には青柳宿の本陣兼問屋を担い、旧領主一族の後裔と思われる青柳八郎右衛門家が屋敷を構えています。善光寺西街道は諸大名の参勤交代では利用されなかったものの、大動脈である中山道と北国街道、消費地だった松本城下と善光寺宿(善光寺の門前町兼北国街道の宿場町)とを最短距離で結んだ為、青柳宿も多くの物資や旅人が往来したと思われます。碩水寺は青柳宿の郊外に位置し、宿場の騒ぎからは離れ静かな時間が流れています。

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