泉龍院: 楼門

写 真
リンク
泉龍院(長野県・豊丘村)

泉龍院(長野県・豊丘村)概要: 池康山泉龍院は室町時代の永享10年(1438)に当時の領主知久為行により創建された寺院です。知久氏は平安末期から鎌倉時代初期にかけて諏訪大社大祝職を担った諏訪敦光の子供である敦俊が知久沢に配され知久姓を名乗ったのが初見で、その養子となった知久信貞を初代としています。室町時代に入ると信濃守護職の小笠原家に従い大塔合戦や結城合戦でも小笠原方として参陣、戦国時代には居城を知久平城から神之峰城に移し領土の拡大を図りましたが、天文23年(1554)に武田信玄(躑躅ヶ崎館の城主)の下伊那に侵攻で、最後まで抵抗したものの神之峰城は落城、当主である知久頼元は捕縛された後に処刑され、知久家本流は滅亡しています。泉龍院も兵火により大きな被害を受けて境内が荒廃しましたが江戸時代に入ると再興され順次堂宇が再建されています。泉龍院山門は文政元年(1818)の造営で三間三戸、入母屋、銅板葺、八脚楼門、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、上層部左右には丸窓、高欄付、内部には内陣が構成され設置された須弥壇には釈迦三尊像、四天王像、十六羅漢像が安置、施工は小松松四郎、豊丘村指定有形文化財に指定されています。伊那秩父観音札所第13番。

※ 当サイト「全国楼門建築」は資料や案内板、パンフレットなどを参考にして編纂していますが、個人的な意見も含まれている為、最終確認は自らの責任により最終確認してください。又、写真や文章のコピーは遠慮してください。

ホーム
全国:楼門
長野県6
長野県7
長野県8
長野県9
定津院
宗吽寺
西念寺
妙見寺
光前寺
徳音寺
玉林院
霊松寺
碩水寺
長谷寺
苔翁寺
高山寺
古川寺
慈恩院
泉龍院
明音寺
嶺頭院
清水寺
健命寺
永福寺
池口寺
慈雲寺
上宮寺
徳満寺