長野県の楼門建築8

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名 称
内   容
場  所
・長谷寺○長谷寺は室町時代初期に創建された寺院です。戦国時代になると当地方で大きな影響力のあった仁科家の一族で平倉城の城主飯森盛春の室、光姫が篤く帰依し、荒廃した境内を再興しています。江戸時代に入ると松本藩の本城である松本城と北陸道の宿場町で、糸魚川藩の藩庁である糸魚川陣屋を結ぶ千国街道が整備され、長谷寺の境内は街道筋として多くの参拝者が訪れました。山門は文政3年に造営されたもので、三間一戸、入母屋、銅板葺、八脚楼門、白馬村指定文化財に指定。

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・白馬村
・苔翁寺○苔翁寺は文治2年(1186)に芋川郷の地頭として配された藤原兼定(後の芋川弥次郎兼定)によって創建された寺院で、以後、長く当地を支配した芋川氏の菩提寺として庇護されました。芋川氏本流の没落後衰微しましたが、戦国時代の元亀2年(1571)に中興開山し曹洞宗の寺院となっています。山門は江戸時代後期の寛政7年(1795)に造営されたもので三間一戸、入母屋、鉄板葺、八脚2重楼門、内部に安置された金剛力士像と共に飯綱町指定有形文化財に指定されています。

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・飯綱町
・高山寺○高山寺は平安時代に征夷大将軍である坂上田村麻呂が当地まで進軍してきた際、戦勝祈願を行う為に創建された寺院です。建久6年には鎌倉幕府初代将軍となった源頼朝から三重塔が寄進され、元禄11年には木食山居上人が再興し境内を整備しています。山門は天明6年に造営されたもので、一間一戸、入母屋、銅板葺、四脚鐘楼門、小川村指定文化財に指定されています。信濃三十三番観音霊場の結願寺としても知られ、縁日には数多くの信者が参拝に訪れます。

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・小川村
・古川寺○古川寺は平安時代後期に創建された寺院で、当初は山形村の清水寺の里寺だったそうです。中世に入ると、境内背後の高台に築かれた旭城の城主から庇護され、戦国時代には当時の城主上條信隣によって中興されています。江戸時代には松本藩(長野県松本市:本城−松本城)の藩主から庇護され小笠原秀政は禁制(朝日村指定重要文化財)の発布と堂宇の再建を行っています。山門は一間一戸、入母屋、茅葺、四脚楼門。信州筑摩三十三カ所観音霊場第28番札所。

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・長野県
・朝日村
・慈恩院○慈恩院は平安時代末期に成立した伴野庄と呼ばれる荘園を管理監督する荘司の菩提寺として創建された寺院です。当初は天台宗の寺院でしたが、その後、真言宗に改宗し、戦国時代に伴野半左衛門が玄室和尚を招いて曹洞宗に改宗しています。山門は元文5年(1740)に造営されたもので三間一戸、入母屋、銅板葺、四脚楼門、豊丘村指定有形文化財に指定されています。伊那秩父三十四観音霊場第9番札所。

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・長野県
・豊丘村
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長野県5蕃松院八幡神社観音寺法華寺教念寺
長野県6定津院宗吽寺西念寺妙見寺光前寺
長野県7徳音寺玉林院池口寺霊松寺碩水寺
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長野県9泉龍院明音寺嶺頭院清水寺健命寺永福寺慈雲寺上宮寺

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