那須神社(栃木県大田原市): 楼門

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那須神社(栃木県・大田原市)

那須神社(栃木県・大田原市)概要: 那須神社は4世紀に下野国造奈良別名によって創建されたと伝わる古社です。平安時代には陸奥の蝦夷攻略で当地を訪れた坂上田村麻呂が戦勝祈願した際に八幡神を勧請合祀しました。平安時代後期に奥州で争乱が発生すると源義家が派兵され、当地まで進軍した際に戦勝祈願が行い、乱平定後には当地に配された須藤貞信に命じて社殿を再建させています。須藤貞信の後裔は地名に因み那須姓を名乗り、長く当地を支配し那須神社を氏神として崇敬庇護しました。源平の合戦の際、那須与一が平家の軍船に掲げられた扇の的を弓を射る瞬間に心の中で当社に祈願した事でも知られています。戦国時代から江戸時代にかけては那須家一族の後裔である大関氏(江戸時代には黒羽藩主を歴任。)から庇護され、社殿の営繕工事が随時行われています。那須神社神門(楼門)は江戸時代初期に造営されたもので(昭和50年代に楼門が解体修理が行われた際、下層一手先巻斗と二重頭貫墨書から寛永19年と記した墨書が発見されてる事から寛永19年:1642年、又は翌年に竣工したと推定されています)、入母屋、銅板葺、三間一戸、八脚楼門、外壁は真壁造り板張り、木部朱塗り(上層部壁面に龍の絵画)、彫刻部極彩色、上層部高欄付、「八幡宮」の扁額、下層部に随神が安置、格天井(格毎に団扇、軍配、龍、天女、植物等の彩色絵画)、国指定重要文化財に指定されています。又、元禄2年(1689)には松尾芭蕉が奥の細道で当地を訪れた際に参拝しており「おくのほそ道風景地」として国指定名勝に指定されています。

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