慈眼寺: 楼門

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慈眼寺(山梨県・笛吹市)

慈眼寺(山梨県・笛吹市)概要: 慈眼寺が何時頃から境内を構えたのかは判りませんが室町時代の文明年間(1469〜1487年)に宥日上人により再興されたと伝わる寺院です。戦国時代には甲斐国守護職の武田家の祈願所として庇護された事で大きく繁栄しました。天正10年(1582)に織田、徳川連合軍の武田領侵攻により境内が荒廃し、庇護者である武田家も滅亡しましたが、その後に領主となった徳川家の庇護により再興を果し甲州国檀林七ヶ寺の筆頭にも選定されています。現在の本堂、庫裏、鐘楼門は江戸時代初期に宥真上人によって境内を整備された際に再建されたもので国指定重要文化財に指定されています。慈眼寺鐘楼門は江戸時代初期の慶安3年(1650)頃に造営されたもので(建築年は不詳ですが釣り下げられている梵鐘の銘が慶安3年である事からその前後の建築と推定されています)、入母屋、鉄板葺き(元桧皮葺で、鉄板葺きを経て、現在は桧皮葺に復しています)、一間一戸、四脚鐘楼門、上層部は鐘撞堂で外壁は柱のみの吹き放し、下層部外壁は真壁造り板張り、彫刻部(牡丹・菊・蓮・琵琶)は極彩色で仕上げられています(修復工事により左右には袖壁が設けられ、「金剛山」の山号額が掲げられています)。

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