景徳院: 楼門

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景徳院(山梨県・甲州市)

景徳院(山梨県・甲州市)概要: 景徳院は天正10年(1582)に武田勝頼が「おぼろなる月もほのかに雲かすみ 晴れて行くへの西の山のは 」の時世の句を残して自刃した地に設けられた勝頼の菩提寺です。天正16年(1588)、新たに領主となった徳川家康が旧武田家の家臣だった小幡勧兵衛景憲に、勝頼の追善供養の為の寺院建立を命じ、拈橋が招かれ開山しました。拈橋は武田家の家臣小宮山昌友の子供で、兄である小宮山友晴は使番十二人衆の一人、出家後は広厳院(山梨県笛吹市一宮町金沢)の箇学光真に師事し、武田信玄の要請で広厳院の住職を担いました。寺号は、境内のある田野郷に因み「田野寺」と名付けられましたが、その後、勝頼の戒名が「景徳院殿頼山勝公大居士」だった事から「景徳院」に改められました。江戸時代に入ると荒廃しましたが、寛永年間(1624〜1644年)に再び広厳院から住職が招かれ再興を果たし、その後、総寧寺(千葉県市川市国府台)の末寺となり、勝頼200回忌には墓碑である宝篋印塔が建立されています。江戸時代後期から明治時代に度重なる火災により山門以外は焼失しています。景徳院楼門は江戸時代後期に造営されたもので、入母屋、銅板葺(棟には武田菱)、三間一戸、八脚楼門、外壁は真壁造り板張り、上層部に十六羅漢像が安置、高欄付、下層部には仁王像安置、「景徳院」の扁額、山梨県指定文化財に指定されています。

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