土浦城: 太鼓門

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土浦城−太鼓門
【 土浦城太鼓門:概要 】 土浦城の太鼓門は慶長5年(1600)の関ケ原の戦いで東軍に与した功により藤井松平家の当主である松平信一が3万5千石で入封し土浦藩を立藩し土浦城を整備した際、慶長6年(1601)頃に造営されたとされます。当初は単層の城門だったようですが西尾忠照が藩主時代の元和8年(1622)に櫓門に改築、さらに、朽木稙綱が藩主時代の明暦2年(1656)に太鼓櫓門に改築したとも云われています。明治4年(1871)の廃藩置県により土浦藩が廃藩、明治6年(1873)に廃城令が発令され土浦城は廃城になりましたが、施設としては維持され新治県の県庁や新治郡の郡役所などに利用されました。しかし、火災や台風、老朽化などで随時取り壊され現在は城内に太鼓門、前川口門、裏門(霞門)のみが現存しています。

土浦城太鼓門は、入母屋、本瓦葺き(棟瓦両端には鯱)、三間一戸、桁行3間、梁間3間、上層部の外壁は大壁造り白漆喰仕上げ、正面には格子戸、他三面にも引戸式の窓付、下層部向かって左側潜戸付、上層部には城内に時を知らせる太鼓が置かれた事から名称の由来となっています。

【 場 所 】 太鼓門:茨城県土浦市中央1丁目

【 備 考 】 名称「土浦城跡及び櫓門」・昭和27年(1952)11月18日:茨城県指定史跡

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