大溝陣屋(総門): 長屋門

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大溝陣屋(総門)−長屋門
【 大溝陣屋総門:概要 】 分部光信は娘婿だったものの、跡継ぎが居なかった為に分部家の家督を継ぎ伊勢国上野藩2代藩主(1万石)に就任、さらに慶長19年(1614)の大坂冬の陣、慶長20年(1615)の大坂夏の陣でも功をあげ元和5年(1619)に大溝領2万石に加増され初代大溝藩の藩主となっています。当地には大溝城がありましたが、分部家は城持ち格では無かった為に大溝城を本城する事が出来ず廃城とし、西側に縄張りされていた三之丸を利用して大溝陣屋を構えました。大溝陣屋は東側を大溝城の内堀をそのまま利用し、南側は入湖(洞海)を引き込み、西側は武家屋敷を配して周囲を土塁と水路で囲みました。陣屋や式内には藩庁、藩主居館、練武堂、修身堂、西御殿、倉庫などが設けられ、総門、西ノ門、南門、会所門によって外部と分断していました。

現在残されている大溝陣屋の遺構は総門だけで、建築年は不明なもの棟札には宝暦5年(1755)に大改修されている事が明確な為、それ以前に建てられたと考えられています。総門は入母屋、桟瓦葺(分部家の家紋「丸の内に三つ引き」を掲げる瓦が葺かれています)、桁行約17.8m、梁間約3.9m、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、長屋門形式、門扉は失われています。

【 場 所 】 大溝陣屋:滋賀県高島市勝野

【 備 考 】 高島市指定文化財

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