長浜城(御殿): 宗安寺

  ホーム城郭建築滋賀県城郭建築>長浜城(御殿)
長浜城(御殿)−宗安寺
【 長浜城御殿:概要 】 宗安寺の前身は足利尊氏が全国各国一寺設けた安国寺だったとされ、天正18年(1590)徳川家康の関東移封に従った徳川四天王の一人井伊直政が箕輪城(群馬県高崎市)に配されると、正室である東梅院(唐梅院)が光誉上人を城下に招いて中興開山しました。東梅院は松平康親の娘で天正10年(1582)に家康の養女となってから直政に嫁ぎ長男井伊直勝を儲け、慶長5年(1600)の関ケ原の戦いで直政が大功を挙げ佐和山城に移封になると東梅院も従いました。上野国から成誉典応上人(箕輪城の城主長野家一族である鷹留長野氏の後裔とされる。)を招いて佐和山城の城下でも開山し、寺号は両親の法号から一字づつ宛がわれ「宗安寺」に改められを両親の菩提寺として篤く信仰したそうです(松平康親の法名は「空閑院殿厳誉豊月崇輝大居士」とされる為、どの字が充てられたのかは不詳)。しかし、佐和山城は敵対した石田三成の居城だった為、早くから彦根城の築城が決定され、彦根城の城下町の町割りが出来上がった頃に宗安寺も現在地に境内を移しています。

宗安寺の本堂は長浜城の御殿だった建物で、案内板によると「・・・・元禄14年10月7日夜彦根大火により類焼を受け、本尊仏を始め諸堂宇苑に附具などことごとく灰燼に厄にかかりしが、その翌年藩主の助力により、長浜城(内藤豊前守信成公)の御殿を拝領し改造ををなしたるが現存の建築物なり、・・・・」とあります。宗安寺本堂は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、平入、桁行10間半、梁間8間半、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ。

【 場 所 】 宗安寺:滋賀県彦根市本町

【 備 考 】 昭和23年(2011)12月20日:彦根市景観重要建造物

※ 当サイトは現地の案内板や資料等を参考にしていますが、誤字脱字、解釈の違い、私論等などが含まれている可能性がありますので最終確認は個人等で行ってください。又、予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。 尚、リンクは自由ですが画像(写真)や文章等の利用は遠慮させていただいております。御理解の程よろしくお願いします。