長浜城(搦手門): 知善院

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長浜城(搦手門)−知善院
【 長浜城搦手門:概要 】 長浜城は天正元年(1573)に羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が浅井氏の居城である小谷城を攻略し、当地の領主になった際に築かれた城です。秀吉は琵琶湖の舟運や北国街道を押さえる必要性から、山城である小谷城を廃城とし、そこから排出される木材を利用して長浜城を築城、さらに小谷城の城下町から多くの社寺や商人を招き入れ新たな城下町が町割りされました。知善院もその中の一寺で、特に長浜城の鬼門を鎮護する為に城から見て北東にあたる現在地に境内を構え篤く庇護されました。

現在の知善院表門は長浜城の搦手門とされる建物で、建築年は不詳ですが天正13年(1586)の天正地震で長浜城の殆どの施設が倒壊した事から、その直後に当時の城主である山内一豊によって再建されたものと推定され、同じく長浜城の大手門が移築されている大通寺の台所門には天正16年(1588)の銘がある扉金具がある事から搦手門も同時期に再建されたと思われます。元和元年(1615)に当時の長浜藩の藩主内藤信正が摂津高槻藩に移封になると長浜藩は廃藩となり、それに伴い長浜城も廃城、破却された際に知善院の表門として移築されたと思われます(大通寺の台所門は慶長11年又は寛永16年)。切妻、本瓦葺き(背面:桟瓦葺き)、三間一戸、棟門、向かって左側に潜戸付、用材が太く、本扉の太い格子戸に城門の特徴がある。

【 場 所 】 知善院:滋賀県長浜市元浜町

【 備 考 】 昭和41年(1966)12月9日:長浜市指定文化財

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