掛川城(搦手門): 円満寺

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掛川城(蕗の門)−円満寺
【 掛川城蕗の門:概要 】 蕗の門は江戸時代末期の安政元年(1854)の発生した安政東海地震で倒壊した後に建てられたもので、掛川城の大手筋の三ノ丸に入る手前に当たる位置に配された門です。向かって右側には内堀となる蓮堀、門を入った正面右斜めには三ノ丸に設けられた鉄砲櫓が控え、直角の道筋沿い正面には櫓門の玄関下門(現在、油川寺の山門として移築。)が配されていました。大手門は掛川城の象徴的な存在であると共に町人町と武家町を区切る要素が強く、武家町と城内は蕗の門によって区切られていた事から重要視されていたと思われます。掛川城は明治2年(1869)に廃城になった為、多くの建物は払い下げとなり、明治5年(1872)に円満寺が山門として買受て現在地に移築されました。形式は切妻、桟瓦葺、一間一戸、四脚門。

【 場 所 】 円満寺:静岡県掛川市掛川

【 備 考 】 昭和48年(1973)3月28日:掛川市指定文化財

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