山梨県・早川町・赤沢宿

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【 概 要 】−赤沢宿(山梨県早川町)は江戸時代、日蓮宗身延本山久遠寺と七面山を結ぶ身延往還の宿場として栄えた所です。七面山は古くから修験道の盛んな信仰の山でしたが永仁5年日蓮の弟子の日朗と南部實長公が登拝し七面大明神を勧請しました。七面大明神は日蓮宗法華経の守護神であることから久遠寺と深い繋がりがあり、寛永17年、徳川家康の側室で日蓮宗に帰依していた養珠院が女性で始めて七面山を登拝したことで女人禁制が解かれ広く民衆にも信仰されるようになりました。特に江戸時代中期になると物見遊山が活発になり、身延講を称して久遠寺を参拝してから奥の院を詣で身延往還と赤沢宿を利用し七面山登拝するといったルートが確立します。江戸時代後期から明治時代にかけてが赤沢宿の最盛期だったとされ、9軒の旅篭には連日多くの参拝客が訪れ客室に泊まれない客を沢山いたと伝えられています。戦後になると信仰者の減少や交通網の整備などで赤沢宿を利用する人が減少し、さらに跡継ぎ不足から旅篭が次々と閉鎖に追い込まれました。赤沢宿の町並みは一般的な宿場町と異なり、町割りなど都市計画されておらず、さらに山間の急斜面という地形に作り上げられていることから、細く曲がりくねった街道や階段に旅篭建築が軒を連ねるといった独特の景観を見る事が出来ます。赤沢宿で町並みを形成している建物は江戸時代末期から大正時代に建てられたものが主で、特に古式を残している主屋は座敷の外側の2方向に土間を設け多くの参拝者が一斉に出入り出来る工夫がなされ、2階街道側には縁側が設けられ、それぞれの部屋へ移動できるようになっています。又、軒先には「講中札(登拝を目指した講が宿舎の目印として掲げたもので、講や団体、個人の名称が記されています)」と呼ばれる標示が掲げられており往時を偲ぶことが出来ます。赤沢宿は当時の講中宿の町並みが色濃く残る大変貴重な町並みがの残されている事から重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

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