山梨県・笛吹市・成就院

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【 概 要 】−成就院の創建は久寿年間(1155年頃)、逸見清光により開かれたのが始まりと伝えられています。逸見清光は新羅三郎義光の孫、源義清の子供に当たり、清光の後裔は逸見氏・武田氏・加賀美氏・安田氏・浅利氏などを輩出した事から甲斐源氏の祖に位置付けられています。成就院の前身は清光院(真言宗)と称していた事からも逸見清光の名前がそのまま由来になったと思われます。応永25年(1418)に武田信元が甲斐守護職になると境内は甲斐守護所として整備され規模等は不詳ですが周囲は堀と土塁を設けて居館程度の防衛力があったようです。武田信元は武田家の当主武田信満の弟でしたが応永24年(1417)の上杉禅秀の乱で信満は上杉氏憲方として行動し自刃に追い込まれた為、出家して高野山に逃れました。しかし、室町幕府の画策により甲斐守護職に抜擢され再び甲斐に戻り政務を司るようになっています。応永28年(1421)前後に信元が死去すると、信満の子供である武田信重が跡を継ぎますが、穴山氏の台頭により領内が安定せず宝徳2年(1450)には穴山氏との兵火により守護所が焼失し、信重も境内付近で自刃したそうです。宝徳3年(1451)、信重の嫡子信守が臨済宗の成就院として改宗開山し信重の位牌寺として厚く庇護します。永禄年間(1550年頃)、武田信玄が居城である躑躅ヶ崎館(武田氏館)の城下に移し三条夫人の菩提寺とすると共に法名から円光院と改めます。この地に残った成就院は衰退しますが慶長年間(1610年頃)、僧心誉円通が再興し浄土宗に改宗してます。境内にある武田信重の墓は笛吹市指定史跡に指定されています。

成就院(笛吹市):周辺の見所

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