山梨県・甲斐市・山縣大弐の墓碑

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【 概 要 】−大弐は享保10年(1725)に生まれ、甲府城に勤任した後、江戸で私塾を開き儒学、兵学、医学などを教えていましたが明和3年(1766)に幕府が尊王論者が弾圧しのに連座し翌年、明和4年(1767)に処刑されました。所謂、「明和事件」と呼ばれるもので、宝暦事件の関係者だった藤井右門(直明)が江戸に戻り山縣大弐の邸宅に寝泊りしていた際、大弐と共に江戸城の攻略について論じたとして幕府の役人に捕縛され、大弐は不敬罪として死刑、右門(直明)は磔刑、竹内敬持は島流しとなりました。又、大弐と関係が深かった小幡藩織田家は高畠藩(山形県高畠町:石高は同石ながら実石はかなりの減収となり事実上の減封)に移封となり、国主格も剥奪されました。その後、大弐の遺髪が兄の昌樹によって菩提寺である金剛寺(現在の山縣神社隣)に埋葬されました。山縣大弐之墓は昭和52年に甲斐市指定史跡に指定されています。又、大弐の墓は全勝寺(東京都新宿区:新宿区指定史跡)と泰寧寺(茨城県石岡市:茨城県指定史跡)にもあります。
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