魏略から考察する邪馬台国と女王国1

倭在帯方東南大海中依山島為国度海千里復有国皆倭種

上記は「魏略」の一文で、現在は「漢書地理史 顔師古注」で残されています。意味としては、倭は帯方郡(魏の出張機関)東南、大海中に位置する。山島に依り国土を形成しています。海を千里渡ると国が存在し、皆倭種である。と訳せます。

魏志倭人伝でも同様な一文があり、「倭」ではなく「倭人」とし、陳寿は資料等を検討した結果、あくまで倭を国家ではなく、倭人が住む土地、地域としたかったようです。よって魏略は「倭伝」であり、魏志では「倭人伝」という事になります。

魏略では単に、海を千里渡ると倭種の国がある、としていますが、魏志倭人伝では女王国の東に渡海千余里と詳細を記しています。陳寿には魏略の他にも何か資料があったのか、それとも単なる創作か判断が迷うところです。特に、女王国と邪馬台国を同義と考える人は、必然的と大分県や宮崎県の東沿岸に邪馬台国が位置する事になり、単なる「倭」であればある程度の自由度があります。実際、陳寿は「倭」に訪れた事が無いはずなのに何を根拠として女王国としたのか疑問が尽きません。魏志倭人伝では女王国より、北方に位置する国々は「略裁」が記され、それ以外は遠く離れていて国名しか判らないはずなのに。さらに、言うと、帯方郡の役人は伊都国に留まり、奴国不弥国さえ訪れていない可能性が高いのに、何故、女王国の東に倭種の国がある事が判ったのでしょうか?

全国の観光と歴史的建築物(ホーム)邪馬台国魏略から考察する邪馬台国と女王国>女王国

 ※ リンクはフリーです。