魏略から考察する狗奴国

狗奴国

女王之南又有狗奴国以男子為王其官曰拘右智卑狗不属女王也

上記は「魏略」の一文で、現在は「翰苑」で残されています。女王の南に又、狗奴国があり男子を国王とし官は拘右智卑狗と言います。女王には属していません。と訳されます。

狗奴国の位置は魏略では「女王之南」、魏志倭人伝では「其南」となっています。魏略は逸文のみで何とも言えませんが、これだけを信じれば伊都国の後に狗奴国の記事がきている為、伊都国の国王が女王で、その南に狗奴国が位置しているような印象を受けます。一般的には魏志倭人伝の方が著名でそちらの内容が頭に入っている為、邪馬台国の女王が卑弥呼でその南に狗奴国が位置していると考えている人が多く、「其」は女王に従う21カ国とする説が多いようです。魏略の逸文だけでは「女王」と「女王国」が同義で使われているのかは判断する事が出来なく、魏志倭人伝では伊都国の東南方向が奴国ですが、狗奴国である可能性もあります(魏略では奴国の記事はありません)。

官の名前が魏略では「拘右智卑狗」、魏志倭人伝では「狗古智卑狗」となっています。単純にどちらかが誤記したと考えがちですが、魏略の場合には発音から「河内彦」に通じるとして、邪馬台国畿内説を唱える人達が支持しているようです。又、魏志倭人伝の狗古智卑狗は「菊池彦」に通じるとして、中世の熊本地方の豪族菊池氏の祖と関係が深いとして、邪馬台国九州説を唱える人達が支持しています。

魏略には記されていませんが、狗奴国の王である卑弥弓呼は邪馬台国の女王卑弥呼と「素より和せず(対立状態)」の関係で、正始8年(247)には卑弥呼が魏に対して支援を求めています。

その後の狗奴国がどうなったのかは文献上から察する事が出来ず、邪馬台国に滅ぼされた、逆にに邪馬台国を滅ぼした、狗奴国が東征して大和朝廷になったなどの説があります。

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