魏略から考察する邪馬台国と女王国3

女王国

其俗男子皆点而文聞其旧語自謂太伯之後昔夏后少康之子封於会稽断髪文身以避蛟龍之害今倭人又文身以厭水害也

上記は「魏略」の一文で、現在は「翰苑」で残されています。

其(倭)の風俗は男子は皆、点のような入れ墨をしている。倭の昔話を聞くと、自分達は太伯の後裔であると語りました。昔、夏后の帝の時代に、少康の子は会稽に封じられ、髪を切って、入れ墨を施して蛟龍による被害を避けた。今、倭人もまた入れ墨を施し水害除けを行っています。と訳せます。魏志倭人伝でもやや詳しいものの同様な記述があります。

魏略では点のような入れ墨としていますが、魏志倭人伝では前身としています。受ける印象はかなり違い、異なる資料を参考にしたのかも知れません。

魏略では倭人は「太伯」の後裔、魏志倭人伝では「大夫」を自称したとし、こちらも意味が全く異なります。太伯とは中国古代の侯国呉の始祖の事で、倭国の柵封相手である魏の敵対国である呉を開いた太伯の後裔だと都合が悪い事から、魏志倭人伝では「大夫(中国では貴族や小領主、日本では官僚)」と書き換えられた可能性があります。

「夏后」とは紀元前1900年頃から紀元前1600年頃まで存在したという、中国の史書に記された最古の王朝の事です。少康は夏朝の第6代帝、前半生は寒サクによって政治実権握られ、寒サクの死後、夏の遺臣たちと少康が決起して再び政権を取り戻したと伝えられ、魏略はその中の逸話を記したと思われます。何れにしても、倭人が入れ墨をしているのが特徴的だった事が窺えます。

魏略では入れ墨をするのは水害を避ける為、魏志倭人伝では水鳥を追い払い、大漁を祈願する為と、こちらも相反する意味で使われています。同じ資料を読みつつ作者によって解釈が異なるのかも知れません。

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