卑弥呼・概要: 魏志倭人伝には「女王国」という単語が5カ所、対して「邪馬台国」という単語は1回しか出てきません。その他にも、女王国を彷彿させる単語は「女王」、「倭」、「倭国」、「倭地」、「卑弥呼」があり、使い分けているようにも、気まぐれとも、いい加減にも感じられる表現をし、魏志倭人伝が読む説く混乱の1つにもなっています。一つづつ確認してみます。
卑弥呼
「名曰卑彌呼事鬼道能惑衆」
上記は魏志倭人伝の一文で、名前を卑弥呼と言い、鬼道を行い人の心を惑わしている。と訳されます。
「其年十二月、詔書報倭女王曰。制詔親魏倭王卑彌呼」
その年の12月、次のような詔書が倭の女王宛に発された。親魏倭王卑彌呼に制詔す。
「倭女王卑彌呼與狗邪國男王卑彌弓呼素不和遣倭載斯烏越等詣郡説相攻撃状遣塞曹掾史張政等因齎詔書黄幢拜假難升米爲檄告喩之」
上記は魏志倭人伝の一文で、倭の女王卑弥呼は、古くから狗奴国の男王である卑弥弓呼と仲が悪かった関係だった事から、倭の載斯(高官と思われる人名)、烏越(高官と思われる人名)等を郡(帯方郡)に派遣して、狗奴国と交戦状態である旨の説明を行い詔書(身分の高い人物が発する公文書)と黄幢(黄色い旗)を難升米(高官と思われる人名)に授け、激文をもって卑弥呼に言い聞かせました。と訳されます。
「卑彌呼以死大作冢徑百餘歩徇葬者奴婢百餘人」
卑弥呼が死ぬと大きな塚が造られた。大きさは径100余歩で、奴婢100余名が殉死者として埋葬された。と訳されます。
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