邪馬台国を誤誘導させる女王

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女王

女王・概要: 魏志倭人伝には「女王国」という単語が5カ所、対して「邪馬台国」という単語は1回しか出てきません。その他にも、女王国を彷彿させる単語は「女王」、「倭」、「倭国」、「倭地」、「卑弥呼」があり、使い分けているようにも、気まぐれとも、いい加減にも感じられる表現をし、魏志倭人伝が読む説く混乱の1つにもなっています。一つづつ確認してみます。

女王

「南至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月官有伊支馬次曰彌馬升次曰彌馬獲支次曰奴佳?可七萬餘戸」

邪馬台国は女王の都がある所と訳せます。「倭」又は「倭国」、「女王国」の首都と考える説もあります。

「次有斯馬國次有巳百支國次有伊邪國次有都支國次有彌奴國次有好古都國次有不呼國次有姐奴國次有對蘇國次有蘇奴國次有呼邑國次有華奴蘇奴國次有鬼國次有爲吾國次有鬼奴國次有邪馬國次有躬臣國次有巴利國次有支惟國次有烏奴國次有奴國此女王境界所盡」

上記は魏志倭人伝の一文で、次は「斯馬国」、次は「己百支国」、次は「伊邪国」、次は「都支国」、次は「弥奴国」、次は「好古都国」、次は「不呼国」、次は「姐奴国」、次は「対蘇国」、次は「蘇奴国」、次は「呼邑国」、次は「華奴蘇奴国」、次は「鬼国」、次は「為吾国」、次は「鬼奴国」、次は「邪馬国」、次は「躬臣国」、次は「巴利国」、次は「支惟国」、次は「,烏好国」、次は「奴国」がある。ここが女王の境界が尽きるところです。と訳されます。文脈から察すると女王とは女王国の事と思われます。素直に読み取ると、女王国を構成している国は直線的に並んでいたようで最後の「奴国」が女王の国境に接しているとしています。

しかし、一般的な訳では大きな矛盾があり、どう考えても一列に国が並んでいるとは考えづらく、さらに国境が「奴国」しかないのも解せないし、「奴国」が「伊都国」から東南方向に陸路を五百里離れていると、別の一文に記されている事から、素直に読むと「奴国」が2か国ある事になりかなり不自然に感じます。

そこで、全く推論ですが私は「狗邪韓国」、「対馬国」、「壱岐国」、「末盧国」、「伊都国」、「不彌國」の6カ国が女王国以外の勢力範囲で、女王国の勢力が順次拡大し、上記の「次有○○国」とは女王国に従った国の順番と思われ、21カ国が女王の支配が及ぶ限界であるという意味と推察します。その為、○○国が順序良く並んでいるのは逆に不自然で21カ国の最後に「奴国」が記載されているのは「奴国」が最後まで女王に従うのを拒んだ、抵抗した事を意味すると思われます。人口で比べると奴国が2万戸(1戸を5人と仮定すると10万人)と、他国を圧倒している存在ですが、奴国を統合する前の女王の権力は奴国を凌駕していたと推定されます。

「其南有狗奴國男子爲王其官有狗古智卑狗不屬女王」

狗奴国の男王は女王に属していないと訳されています。

「王遣使詣京都帶方郡諸韓國及郡使倭國皆臨津搜露傳送文書賜遺之物詣女王不得差錯」

伊都国の港には検査機関があり、洛陽や帯方郡、諸韓国に使節を派遣する場合や、迎え入れる場合に、そこで文書や賜物を改めて、女王に対して問題の無いようにしたと訳せます。

「又有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千餘里」

上記は魏志倭人伝の一文で、女王から離れて4千里に侏儒国がある事が記載されています。

「景初二年六月倭女王遣大夫難升米等詣郡求詣天子朝獻太守劉夏遣吏將送詣京都」

倭の女王は景初2年(238)に外交使節である難升米等を帯方郡に派遣した事が記載されています。

「其年十二月詔書報倭女王曰」

その年(景初2年:238年)の十二月の詔書が倭の女王に以下の事を報告したそうです。と訳せます。

「倭女王卑彌呼與狗邪國男王卑彌弓呼素不和遣倭載斯烏越等詣郡説相攻撃状遣塞曹掾史張政等因齎詔書黄幢拜假難升米爲檄告喩之」

上記は魏志倭人伝の一文で、倭の女王卑弥呼は、古くから狗奴国の男王である卑弥弓呼と仲が悪かった関係だった事から、倭の載斯(高官と思われる人名)、烏越(高官と思われる人名)等を郡(帯方郡)に派遣して、狗奴国と交戦状態である旨の説明を行い詔書(身分の高い人物が発する公文書)と黄幢(黄色い旗)を難升米(高官と思われる人名)に授け、激文をもって卑弥呼に言い聞かせました。と訳されます。

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