邪馬台国を誤解させる表現(そもそも女王国とは編)

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そもそも女王国とは

そもそも・概要: 女王国の定義として、天子が居る「国家」ではありません。又、国王(女王)がいる「国」ではありません。原文である「此女王境界所盡」を「女王の主権の適用される範囲」と訳せる事から、この範囲の事を中国側が「女王国」と名付け揶揄していると考えられます。文脈からこの女王とは「卑弥呼」の事です。そして、卑弥呼は倭国の女王で、倭国の首都である伊都国に宮を構え、女王国に含まれる21カ国を、管理監督出来る立場を有していたと考えられます。伊都国には検察機関である「一大卒」が置かれ、女王国の国々に開かれた市場には倭国から派遣された大倭により監督され、交易(倭国の性質上、女王国の国々は倭国を通して朝鮮半島や中国大陸と交易を行っていたとも考えられます。)が盛んに行われていました。女王国の位置は魏志倭人伝で記されている通り、伊都国の南方に位置し、概ね帯方郡から1万2千里離れている事になります。女王国には当然首都が無い為、直接的な距離というよりも「大体」となり九州北部全域が含まれると思われます(1万2千里のうち伊都国まで1万4千9百里である事から残りは百里となり、日向峠の外側が女王国となります)。当サイトでは倭国と女王国、邪馬台国は範囲が異なると推察している為、帯方郡の使者は倭国には常駐したものの、女王国や邪馬台国に訪れた事が無いと考えてています。又、魏志倭人伝には女王国の東方には海があり、それを渡って千里余りの場所にまた国があり、全て倭種が住んでいると記載され、女王国は九州北部に限定される為、本州と四国にも倭人と同族の種族が住み国を形成していた事が窺えます。

邪馬台国

邪馬台国は伊都国から陸行1月の場所にある為に、女王国ではありません。又、女王国の定義である女王の主権の適用される範囲である21カ国の中に邪馬台国の名称が無い為、女王国の内部にもありません。

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