邪馬台国を誤解させる表現(そもそも奴国とは編)

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そもそも奴国とは

そもそも・概要: 一般的な奴国は所謂「漢委奴国王印」が「漢の委の奴の国王」と訳され、金印が発見された筑前国那珂郡志賀島村東南部(現福岡県福岡市東区志賀島)を含む博多周辺に位置すると考えられています。しかし、前ページに記したように当サイトでは「漢委奴国王印」は伊都国が授かったとして話を進めます。奴国は魏志倭人伝の中で2回出現し、一つは伊都国から東南方向に100里離れた場所に位置する奴国。もう一つは女王の境界が尽きる所に位置する奴国です。人によっては奴国と呼ばれる国が2カ国あると推測する人も多いようです。原文の一文である「此女王境界所盡」を一般的には「ここが女王国の境界が尽きる所」と訳する為に、上記のように奴国は女王国の一番南端にあり国境に接していると考えられているようです。しかし、尽きると訳される「盡」は「全部」の意味があります。私論では「ここに挙げる全ての国が女王の主権の適用される範囲である。」と訳しました(一般的な訳では「此」は奴国を指しますが、私論では21カ国全てを指しています)。この事から奴国が2カ国あるのでは無く、女王の主権の適用される範囲に含まれる奴国を、個別に概要を示しただけで、結局、伊都国から東南方向1里、に位置する「奴国」が1カ所しかない事になります。これが判れば、女王国に属している21カ国と、女王国と対立してる狗奴国を除いた国が倭国で、逆に女王国の中で唯一概要が判るのが奴国という事になります。前段に倭には30カ国の国があると記し、合計すると31カ国、2つある奴国のうちの1つを除けば30カ国となります。

逆に「不彌國」は「女王の主権の適用される範囲」に含まれていない為、「倭国」に属すると考えられます。又、伊那国から「連続説」を採用すると不彌國が伊那国より南の位置し、伊那国の極南海(極南界)が成立しなく成る為、「放射説」が採用されたと考えられます(放射説を唱える人達と同様に「狗邪韓国」は倭国に到着した意味の「到」、「伊都国」は倭国の首都に到着した意味の「到」、最終目的である伊都国から他国への距離は放射状に記されていると考えられます。

「到」の字は目的地の中心都市に到という意味を持ち、「至」はその途中経過である事から国境まで至を意味しています。それをまとめると、帯方郡→狗邪韓国の都「」水行7千里・狗邪韓国の都→対馬国の国境「至」渡海千里・対馬国の国境→壱岐国の国境「至」渡海千里・壱岐国の国境→末盧国の国境(佐賀県唐津市呼子町)「至」渡海千里・末盧国の国境→伊都国の都(福岡県糸島市有田)「」陸行5百里・伊都国の都→奴国の国境「至」(福岡県福岡市西区吉武)陸行百里・伊都国の都→不弥国の国境(福岡県福岡市西区下山門?)「至」陸行百里・伊都国の都→投馬国の国境「至」水行20日・伊都国の都→邪馬台国の国境「至」水行10日又は陸行1カ月という事になります。

上記から日向峠より東南方向が奴国の版図とになり、同時に女王国(≠邪馬台国)の範囲に入った事になります。

不弥国と奴国だけが行程の手段が記されていません。概略が判る他の国々では、渡(渡海)、水行、陸行などと表現されどの様な移動手段を使ったのか想像する事が出来ます。そこから察すると、不弥国と奴国には帯方郡の役人が訪れなかったと推察する事が出来ます。

邪馬台国

上記からも伊那国から南に水行10日、陸行1月の場所にある邪馬台国は「奴国」でも「不弥国」でもありません。

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