邪馬台国を誤誘導させる倭

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倭・概要: 魏志倭人伝には「女王国」という単語が5カ所、対して「邪馬台国」という単語は1回しか出てきません。その他にも、女王国を彷彿させる単語は「女王」、「倭」、「倭国」、「倭地」、「卑弥呼」があり、使い分けているようにも、気まぐれとも、いい加減にも感じられる表現をし、魏志倭人伝が読む説く混乱の1つにもなっています。一つづつ確認してみます。

「從郡至倭循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千餘里」

上記は魏志倭人伝の一文で、郡(帯方郡)から倭に向かうには、海岸沿いに船で移動すると韓国を通過し、南に行ったり東に行ったりし、その北岸の「狗邪韓国」に到着します。その距離は7千里余りです。と訳されます。「狗邪韓国」が「倭」の北岸と読み取れる為、当時の「狗邪韓国」は「倭」に含まれていると思われます。

「今倭水人好沈没捕魚蛤」

上記は魏志倭人伝の一文で、倭に住んでいる水人(海人=海女)は喜んで海に潜り魚や蛤貝を捕獲している。と訳されます。他の一文には「末盧国」に住む人々は魚や鮑を捕獲する事を得意とし、水深が浅い所も深い所も問題無くみんな潜ってそれら(海産物)を採取していると記載している事から、倭の海岸では現在「海女」と呼ばれる人々が存在していた事が窺えます。

「國國有市交易有無使大倭監之」

上記は魏志倭人伝の一文で、国々には市場があり交易が行われ、大倭が遣わされて監督しています。と訳されます。明確ではありませんが「大倭」と呼ばれる役職が市場に派遣され管理監督していたようです。

「景初二年六月倭女王遣大夫難升米等詣郡求詣天子朝獻太守劉夏遣吏將送詣京都」

上記は魏志倭人伝の一文で、景初2年(238)6月に倭の女王が大夫(外交大使)である難升米等を派遣し郡(帯方郡)に詣出て、天使(魏の皇帝)に直接朝貢したいと求めてきた。郡(帯方郡)太守(最高位)である劉夏は、文官と武官を付けて洛陽(魏の首都)にその旨を送った。と訳されます。

「其年十二月詔書報倭女王曰」

上記は魏志倭人伝の一文で、その年(景初2年:238年)12月の詔書(身分の高い人物が発する公文書)が倭の女王に報告した事については次のようです。

「倭女王卑彌呼與狗邪國男王卑彌弓呼素不和遣倭載斯烏越等詣郡説相攻撃状遣塞曹掾史張政等因齎詔書黄幢拜假難升米爲檄告喩之」

上記は魏志倭人伝の一文で、倭の女王卑弥呼は、古くから狗奴国の男王である卑弥弓呼と仲が悪かった関係だった事から、倭の載斯(高官と思われる人名)、烏越(高官と思われる人名)等を郡(帯方郡)に派遣して、狗奴国と交戦状態である旨の説明を行い詔書(身分の高い人物が発する公文書)と黄幢(黄色い旗)を難升米(高官と思われる人名)に授け、激文をもって卑弥呼に言い聞かせました。と訳されます。

「張政等以檄告喩壹與壹與遣倭大夫率善中郎將掖邪狗等二十人送政等還」

上記は魏志倭人伝の一文で、張政(魏から遣わされた役人)等は激文をもって、壱与(女王)に言い聞かせました。壱与は、倭の大夫(外交大使)率善中郎将掖邪狗等20人を、張政等が帰国の際の見送りさせた。と訳されます。

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