・楠本端山は平戸藩の在郷藩士楠本忠次右衛門の長男として生れました。
幼少時は近藤新右衛門に師事し、15歳になると平戸藩の藩校である維新館に入り、5年間修学した後に平戸藩の計司局に勤めるようになりました。
平戸藩の学者である葉山凱軒に認められ、嘉永4年に江戸に上り佐藤一斎や大橋訥庵に師事し、嘉永6年に忠次右衛門が病気になった事から平戸に戻っています。
その後、維新館教授に抜擢されたものの教育方針が藩と異なった為に辞退し帰郷しています。
8年後頃から藩主松浦詮に個別に教授をするようになり、藩政にも参画、藩内を尊王思想に纏めています。
明治維新後は平戸藩権大参事に抜擢され、学制改革や藩政改革に尽力しています。
楠本端山旧宅は天保3年(1832)に建てられた建物で、主屋には来客用、家族用、使用人用の玄関3箇所が設置され、二間続きの座敷が二組あり、儒教の祠堂を設ける等、江戸時代後期の平戸藩の武家屋敷の特徴が見られます。
楠本端山旧宅は貴重な事から長崎県指定史跡に指定されています。
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