群馬県・伊香保温泉(温泉街・石段街)

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【 概 要 】−伊香保温泉(群馬県渋川市)は榛名山二ッ岳の火山活動で湧き出した名泉です。何時頃に温泉場として開かれたのかは多くの説があり、一番古いのは垂仁天皇(第11代天皇・在位:紀元前29年〜西暦70年)とされます。時代が下がった大宝元年(701)には水沢寺(群馬県渋川市)の住職である恵美僧正の霊夢に伊香保姫の化身が立ち、御告げに従い水沢寺の守護神が伊香保大明神(男神が後の伊香保神社)となり、水沢寺を現在地に境内を遷す際に再び霊夢の御告げがあり、枯渇した源泉が伊香保の地から湧き出す事を告げられたと伝えられています。もう1つの説は天平年間(729〜749年)に奈良時代の高僧として知られる行基菩薩が全国巡錫の折、源泉を発見したとされます。行基菩薩は当地に巡錫したとの明確な記録はありませんが、奈良時代に公共事業や慈善事業などを通して一般庶民にも仏教を布教した事から、その後、行基を語る門弟や信者により全国に行基伝説が流布されたと考えられ、草津温泉日本三名泉)などにも行基開湯伝説が残されています。「神道集」によると恵美僧正の跡を継いで水沢寺の住職になった東円上人は行基菩薩の弟子と記載されている事から東円上人により行基開湯伝説が流布されたのかも知れません。

伊香保温泉の開湯伝説の真偽は判りませんが、奈良時代に編纂され現存する最古の和歌集である「万葉集」には伊香保の地を歌枕とした和歌が数多くの載せられている事から、地名としては少なくとも奈良時代には中央にも聞こえる存在だった事が窺えます。

戦国時代に入ると真田家の領地となり、天正3年(1575)に長篠の合戦で織田、徳川連合軍に主家である武田勝頼(躑躅ヶ崎館の城主)が敗れると、勝頼の命により、戦傷者の傷を癒す保養所として温泉街が整備されました。その際、元々あった源泉から温泉を引き込み、傾斜地を階段状に整地して、両側に設けた湯宿に温泉が行き渡るように温泉街が計画されました。現在見られる石段の温泉街はその当時に町割されたものが基本となっており全国的見ても珍しい温泉街が形成されています。江戸時代に入ると内陸部である上野国(群馬県)と日本海側である越後国(新潟県)を結ぶ三国街道が開削され、同時に、その脇街道として伊香保温泉を通る伊香保街道が整備された事から湯治客だけでなく旅人や商人なども利用されるようになり、特に江戸時代中期以降は一般庶民にも行楽嗜好が高まった事から榛名神社(群馬県高崎市・延喜式神名帳による式内社)や水沢寺(坂東三十三番札所第16番札所)の参拝者も加わり飛躍的に利用者が増大します。

明治時代に入ると伊香保温泉の知名度が全国的にも広がり、諸国温泉功能鑑にも格付けされ、数多くの文人墨客(夏目漱石、萩原朔太郎、野口雨情、田山花袋、竹久夢二、若山牧水、与謝野晶子など)の来訪がありハワイ国公使(ロバートウォーカー・アルウィン)の別荘も温泉街に設けられました。伊香保温泉は草津温泉(群馬県草津町:日本三名泉・日本三大薬湯)、四万温泉(群馬県中之条町)と共に上毛三名湯に数えられました。

伊香保温泉(渋川市):周辺の見所

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