茅葺屋根: 本陣・脇本陣

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滑津宿・旧本陣
・場 所宮城県刈田郡七ヶ宿町滑津
・建築年・江戸時代中期:18世紀中頃
・形 体・木造平屋建、寄棟、平入、正面切妻(千鳥破風)玄関屋根付。
・概 要羽州街道の中でも特に仙台藩領の区間は七ヶ宿街道の別称があり、その滑津宿の本陣だった建物で、安藤家は江戸時代後期の天保年間以降、本陣職を担っています。正面が座敷棟、背後に住居棟と一般的な本陣とは異なる構成になています。
有壁宿・本陣
・場 所・宮城県栗原市金成有壁
・建築年・江戸時代中期:延享元年(1744)
・形 体・木造2建、切妻、茅葺、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ。
・文化財・国指定史跡
・指定日・昭和46年(1971)5月27日
・概 要・五街道の一つ奥州街道の宿場町である有壁宿の本陣だった建物です。当地以北に領地があった松前藩や八戸藩、盛岡藩の藩主が参勤交代の際に宿泊や休息で利用しました。
本荘街道・本陣
本荘街道・本陣
・場 所秋田県由利本荘市石沢
・建築年・−
・形 体・木造平屋建、寄棟、茅葺、平入。
・概 要・本荘街道の宿場町である石沢宿の本陣で代々猪俣家がその職を担っています。本荘街道は本荘藩主六郷家、場合によっては亀田藩主岩城家が参勤交代で利用しました。街道沿いには長い板塀と身分の高い人物しか利用が許されなかった表門が残され、茅葺屋根の主屋と共に異彩を放っています。
松ヶ岡本陣
・場 所山形県鶴岡市羽黒町松ヶ岡
・建築年・江戸時代初期:元和8年(1622)
・形 体・木造平屋建、寄棟、茅葺、平入。
・文化財・国指定史跡
・指定日・平成元年(1989)8月11日
・概 要・元々は鶴ヶ岡城の完成までの藩主の仮御殿で、その後、舟形街道の宿場町である藤沢宿の本陣として移築され、明治時代に宿場制度が廃止され松ヶ岡の開発が始まると現在地に移されています。
庄内屋
・場 所・山形県上山市楢下
・建築年・江戸時代中期:18世紀中頃
・形 体・木造平屋建、寄棟、茅葺、平入。
・文化財・上山指定有形文化財
・指定日・平成2年(1990)
・概 要・羽州街道の宿場町である楢下宿の庄内藩主専用の施設で、脇本陣格とされました。粟野家は屋号「庄内屋」を掲げ、内部には上段の間や式台付の玄関があるなど格式がある造りになっています。
旧滝沢本陣
・場 所福島県会津若松市一箕町滝沢
・建築年・江戸時代前期:延宝6年(1678)
・形 体・木造平屋建、西面寄棟、裏面切妻、茅葺、平入、桁行20.1m、梁間7.6m。
・文化財・国指定重要文化財
・指定日・昭和46年(1971)3月11日
・概 要白河街道沿いに設けられた本陣で、代々横山家がその任を担いました。戊辰戦争の際には拠点の一つとして機能し、座敷には弾痕や刀傷が残されています。
大内宿・本陣
・場 所・福島県南会津郡下郷町大内
・形 体・木造平屋建て、寄棟、茅葺、平入。
・概 要会津西街道の宿場町である大内宿の本陣です。建物的には江戸時代末期には既に失われていましたが、同じ会津西街道の糸沢宿本陣の阿久津家や、記録が明確な川島宿の本陣を参考にして復元されました。大内宿は江戸時代前期は大名の参勤交代で利用され大きく繁栄しましたが、その後経路から外れた為、本陣も衰微したと思われます。
旧取手宿本陣
・場 所茨城県取手市取手
・建築年・江戸時代後期:寛政7年(1795)
・形 体・木造平屋建、寄棟、茅葺、桁行20m、梁間15m、正面入母屋破風付。
・文化財・茨城県指定文化財
・指定日・平成8年(1996)1月25日
・概 要・水戸街道の宿場町である取手宿の本陣で、貞享4年(1687)以降、代々名主である染野家がその任を担いました。幕末には徳川斉昭が利用しています。

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