大内宿:古い町並み
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[ 大内宿 ]
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喜多方市小田付は在郷町として発展した町で、現在でも数多くの店蔵や物品蔵、座敷蔵等が残され貴重な事から構成要素である伝統的建造物(建築物)190件、伝統的建造物(工作物)25件、環境物件13件を含む約15.5ヘクタールが喜多方市小田付(おたづき)伝統的建造物群保存地区に選定されています。
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角館は中世、当地を支配した戸沢氏の本城である角館城の城下町として成立した町です。江戸時代に入ると久保田藩に組み込まれて、角館城には一族である芦名氏が配されましたが、芦名氏が断絶すると「角館所預り」として佐竹北家が配されています。その後は佐竹北家の小城下町として整備発展し、現在も当時の武家屋敷の町並みが残され「みちのくの小京都」とも呼ばれています。角館町の町並みは貴重な事から国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
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新屋は羽州浜街道の宿場町、雄物川舟運の川湊町として発展した町です。街中からは豊富な伏流水が湧き出ていた事から、酒造業や醸造業が盛んで大店が軒を連ねました。現在でも当時の大型の町屋建築が点在し、独特の街並みが見られます。
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銀山温泉は延沢銀山が開発した際に源泉が発見されたのが始まりとされます。当初は鉱山町として発展しましたが、良質な源泉が豊富に湧き出いていた事から温泉街として整備されました。大正時代に洪水により大打撃を受けた事で、再建された大正時代から昭和初期の高層階の温泉宿が独特な町並みを形成しています。
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金ケ崎町は江戸時代に仙台藩領に組み込まれ、仙台藩の行政機関である金ケ崎要害が設けられ、その要害町として発展した町です。要害と言っても、事実上の城郭で周囲には多くの家臣団が配された為、現在でも多くの武家屋敷が残されています。武家屋敷の周囲には生垣や板塀、門等が設けれ、良好な町並みが残されている事から国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
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登米市登米町は江戸時代に仙台藩領に組み込まれ、仙台藩の行政機関である登米要害が設けられ、その要害町として発展した町です。要害と言っても、事実上の城郭で周囲には多くの家臣団が配された為、現在でも多くの武家屋敷が残されています。又、北上川の舟運の拠点でもあった為、経済的にも栄え良好な町屋建築が点在しています。
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村田町は江戸時代に仙台藩領に組み込まれ、仙台藩の行政機関である「所」が設けられ、その「所」町として発展した町です。「所」と言っても、事実上の城郭で周囲には多くの家臣団が配された為、現在でも武家屋敷である旧田山家住宅が残され村町指定文化財に指定されています。又、村田町は交通の要衝で特産物である紅花や藍の集積場だった事から在郷町としての一面もあり、多くの豪商を輩出しました。現在も土蔵造の大型の店蔵が軒を連ねる良好な町並みが残されており、貴重な事から国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
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弘前市仲町は弘前藩の藩庁、藩主居館が設けられた弘前城の城下町で、特に中級武士が配された武家町として町割りされました。現在も武家屋敷や、その周囲に設けられた生垣、板塀、門等が残され、武家町特有の街並みが残され貴重な事から国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
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黒石市は弘前藩の支藩である黒石藩の藩庁の黒石陣屋の陣屋町として発展した町です。特に町人町には現在でいうアーケードである「こみせ」を設けた町屋建築が軒を連ね、雪国らしい独特な街並みが残されています。中町こみせ(小見世)通り周辺には貴重な事から国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
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