塩田平(別所温泉):常楽寺

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別所温泉:常楽寺・本堂
【 常楽寺:概要 】 別所温泉に境内を構える常楽寺が何時頃から信仰を始めたのは判りませんが伝説によると奈良時代に東大寺(奈良県奈良市雑司町)の「四聖」の一人に数えられている行基菩薩が開いたとも、平安時代に比叡山延暦寺滋賀県大津市坂本)座主の慈覚大師円仁が北向観音堂を設けた際に、その本坊として開いたとも伝えられています(本堂の裏手の高台には北向観音が出現したとされる霊地に石造多宝塔(国指定重要文化財)が建立されています)。伝説の真偽は今となっては確かめるすべはありませんが、上田市には古代の信濃国府が設けられ、別所温泉の近くには古代の官道である東山道が開削されていた事から、早くから開けていた地域であった事は間違いなく仏教の布教もそれに伴い行われたと思われます(別所温泉にいたっては日本武尊が発見したとの伝承が伝えられていますが、こちらも伝説の域を出ません)。又、別所の地名の由来として大和王権が蝦夷を征服した際に捕獲した捕虜を隔離(別所)して住まわせた地で、周囲が山に囲われ、慈覚大師円仁が創建した寺院があり白山神社が鎮守となっている場合が多いとの説があり、別所温泉はかなりの部分で合致します(別所温泉の鎮守である別所神社は熊野信仰系統の為、鎮守は合致しません)。鎌倉時代後期になると鎌倉幕府執権北条氏の一族である塩田北条氏が塩田平を経営するようになり、領内の文化向上に尽力し特に仏教の振興には積極的だったようで、塩田平は「信州の学海」と呼ばれるようになりました。京都南禅寺の開祖大明国司が正応5年(1292)に「十不二門文心解」を信濃国小県郡塩田庄常楽寺で書写した事を記録した文献が金沢文庫(鎌倉時代中期に北条実時が設けた武家の文庫。金沢流北条氏の私設図書館)に残されて、塩田平が信州の学海に呼ばれるのに相応しく、常楽寺が大きな役割を果たしていた事が窺えます。塩田北条氏が滅びた後も塩田平は当地域の中心性を保ち塩田城が軍事、行政の拠点となっていましたが、戦国時代に真田昌幸が徳川家の協力を得て上田城を築城すると、塩田城の重要性が失われ廃城になっています。しかし、常楽寺や北向観音、安楽寺などの寺院の保護は引き続き行われたと思われます。現在も塩田平には別所温泉にある常楽寺、北向観音、安楽寺をはじめ周囲には前山寺中禅寺などの名刹が点在している事から「信州の鎌倉」の別称があります。

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