長野県・木曽町

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【 概 要 】−木曽町周辺は古くから木曽氏が支配した地域で天文から弘治年間(1532〜1558年)に福島城を築くとここを居城としています。その後、木曽氏は武田家に従属し信玄の娘真理姫を嫡子義昌に迎えるなど一族衆に加わりますが、武田勝頼(躑躅ヶ崎館の城主)が長篠の戦で織田信長に敗れると逸早く織田家に組し、武田家滅亡に大きな功績を挙げます。木曽氏は安曇郡と筑摩郡も領地としますが本能寺の変により上杉景勝(春日山城の城主)が南下し再び木曽周辺に押し戻され徳川家に組することで上杉家を頼る小笠原家と対峙します。天正12年(1584)の小牧・長久手の戦いで豊臣秀吉に組し徳川家に対しましたが、和睦後に徳川家に従った為阿知戸1万石に移封されました。その後、木曽氏家臣だった山村氏(菩提寺:興禅寺)は関ヶ原の戦いの際に徳川秀忠の進軍を手助けした功で木曽町周辺を支配する代官となり福島城の麓に代官所が設けられました。江戸時代に入り中山道(木曽路)が整備されるとこの地には福島宿が開かれ、日本四大関所の一つ福島関所が設けられます。中山道は五街道の一つとして幕府が重要視し、西国の諸大名が参勤交代で利用した事から人や物資の往来も多く各宿場町も大きく繁栄しました。その後も福島宿は木曽谷の政治・経済の中心として栄えました。

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