長野県・辰野町・矢彦神社

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【 概 要 】−矢彦神社は古くから信濃国二之宮、上伊那郡五十四か村の総鎮守として広く信仰されました。伝承によると大己貴命が国造りをしている最中に、御子神である事代主命と建御名方命と共に当地に滞在したことに因み御霊が勧請されたと伝えられています。朝廷や歴代領主からも崇敬され白鳳2年(674)に朝廷の勅使がこの地に下向し新宮を造営、延暦22年(803)には坂上田村麻呂が東夷東征の戦勝祈願を行い、勝利の後別当寺院となる神光寺を開山し堂宇を造営しています。その後、大地震などで社殿、堂宇が倒壊し衰退しますが天喜5年(1057)には源頼義・義家、寿永元年(1182)には木曽義仲が社殿を造営するなど再興、源氏と関わりを強くし、源氏の氏神である誉田別天皇(応神天皇)が祀られるようになりました。その後も武田信義や小笠原長政、小笠原政康などから庇護され戦国時代に武田領になると天文年間(1532〜55)に武田信玄(躑躅ヶ崎館の城主)が社領を寄進し跡を継いだ勝頼も引き続き庇護を重ねました。江戸時代に入ると幕府が庇護し、伊那郡の天領代官となった)朝日受永が社領10石を寄進し、慶安2年(1649)には江戸幕府3代将軍徳川家光より社領10石の朱印状を賜うと同時に附属山林諸役免除が認められ歴代将軍を追認しています。明治時代に入ると別当寺院だった神光寺が廃寺、矢彦神社の社格が郷社となり、明治33年(1900)社格が県社に昇格しています。隣接する小野神社の創建の由来や経緯が似通って往時は境内が同一だったとされますが(ただし、祭神の1柱に天香語山命が祭られ、社号として矢彦神社が掲げられている事から、本来は越後一之宮弥彦神社の分社だったという説もあります)、その後、郡境が接していた為に境内に敷居が設けられそれぞれの領主、領民から個別に信仰を受けました。その影響を受け小野神社の境内は塩尻市、矢彦神社の境内は辰野町の飛地として受け継がれています。矢彦神社の社殿も歴史ある建物で天明2年(1782)に建てられた拝殿(切妻、銅板葺)や左右廻廊(切妻、銅板葺)、江戸時代中期に建てられた勅使殿(切妻、銅板葺)、天保13年(1842)に建てられた神楽殿(切妻、銅板葺・彫刻は、名工・2代目立川和四郎富昌作)は長野県指定県宝に指定されています。

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