日本三名泉

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日本三名泉・概要(万里集九・林羅山)

日本三名泉・概要: 日本三名泉の由来は室町時代の禅僧:万里集九が編纂した「梅花無尽蔵」で「我国、日本は60余州の国に分かれ、それぞれの国々で霊湯があります。その中で最も優れている温泉が上州(現在の群馬県)の草津(現在の草津温泉)、摂州(現在の兵庫県の一部)の有馬(現在の有馬温泉)、飛州(現在の岐阜県の一部)の湯島(現在の下呂温泉)の3箇所です。」と記載したことに始まります。万里集九は禅僧であると共に歌人でもあり「梅花無尽蔵」は万里の歩いた地方の様子や暮らしぶりを書いた紀行文的な要素が強い作品になっています。有馬温泉や草津温泉は江戸時代後期に数多く制作された温泉番付でも最高位である西大関、東大関(横綱は空位)を張っており、ある意味順当ですが何故下呂温泉が選ばれたのでしょうか?万里集九は文明3年(1471)から文明9年(1477)まで美濃国(現在の岐阜県の一部)の禅源寺に住んでいた事から、下呂温泉を湯治として利用し、ことの他気に入ったのではないでしょうか。同じように松尾芭蕉が山中温泉(石川県加賀市)を気に入り有馬温泉と草津温泉、山中温泉は「扶桑(日本を指す)三名湯」としています。又、先程述べた温泉番付は全国各地でも制作され東西の大関が草津温泉と有馬温泉が鉄板で、関脇に地元の温泉を挙げる例が多く見られます。江戸時代の儒学者:林羅山が編纂した「西南行日録」では「梅花無尽蔵」を参考にしたと思われ、やはり有馬温泉、草津温泉、下呂温泉を挙げています。ただし、羅山も有馬温泉と草津温泉は当時から有名で分かりますが何故、万里集九が下呂温泉を名泉として挙げたのか理解出来ず「遠くてあまり知られてはいないが、入湯するとその効能を得ることが出来る。」と注釈を入れています。

日本三名泉・一覧(有馬温泉・草津温泉・下呂温泉)

草津温泉
草津温泉草津温泉は伝承によると日本武尊(神話で登場する景行天皇の皇子)や行基菩薩(奈良時代の高僧)、源頼朝(鎌倉幕府初代将軍)により開かれと伝えられています。室町時代には既に全国的にも知られる存在となり、戦国時代には数多くの戦国大名が利用しています。江戸時代に入ると庶民にも湯治が流行し数多くの湯宿が軒を連ね、文学作品の中でも度々登場してきます。
有馬温泉
有馬温泉有馬温泉が何時頃に開かれたのかは不詳ですが631年に舒明天皇が湯治に訪れた事が日本書紀に記載されてる事から日本三古湯にも数えられています。奈良時代には行基菩薩により温泉寺が開山され、建久3年には荒廃した温泉街を仁西上人が再興、戦国時代には豊臣秀吉が利用し整備拡張している事から、上記三人を「有馬の三恩人」と呼ばれています。
下呂温泉
下呂温泉下呂温泉の開く湯の時期も不詳ですが延喜年間から天暦年間に湯ヶ峰の山頂付近に湧き出していたと伝えられています。文永2年の大地震の為、湯脈が変わり当時の源泉は枯渇しましたが、暫くして川原で傷ついた白鷺が湯浴びをしているのを住民が発見し、数日後に傷が完治した白鷺が飛び立つ姿から、傷に効能がある源泉と分かりました。

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