新潟県・南魚沼市・法音寺

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【 概 要 】−法音寺(南魚沼市)は高僧として知られた行基によって開かれたと伝わる古寺で、当時は霊山として信仰の対象となっていた八海山(標高:1778m、日本200名山、魚沼三山、越後三山)の信仰の拠点だったと推察され、末寺である長福寺は山号を八海山を掲げ、本地仏である薬師如来像を本尊として祀っている事から、拠点が移ったとも考えられます。法音寺は当初、草庵程度の規模で「密厳庵」と称していたそうですが、天平7年(735)に聖武天皇の勅願により藤原不比等4男で南都京家(藤原京家)の祖とされる藤原麻呂が当地に派遣され、現在地に改めて寺院として境内を整え「飯森山密厳院」に寺号を改称しています。天平9年(737)に藤原麻呂が当寺で死去すると天平11年(739)に勅使が参向の為に訪れ、寺号を藤原麻呂の法名に因み「飯森山法音寺」に改めています。ただし、一般的には藤原麻呂は天平9年(737)に多賀城(宮城県多賀城市)から雄勝柵(推定地:秋田県湯沢市又は羽後町)までの官道の整備に尽力し、帰京した後に天然痘により死去したとされます。中世に入ると源頼朝の帰依となり寺領を寄進する共に山号が「飯盛山」から「繁城山」に改称しています。戦国時代に入ると春日山城の城主上杉謙信が篤く帰依し、謙信発布の書状を所有し、その書状によると法音寺は年頭祝儀として巻数と銭30疋を上杉家に対して贈りったとされ、南魚沼市指定文化財に指定されています。謙信の実家である長尾家は曹洞宗に帰依した為に林泉寺が菩提寺でしたが、謙信自身は真言宗に帰依し、特に高野山には自ら参拝に赴き金剛峯寺の無量光院清胤から伝法潅頂を受け阿闍梨権大僧都の位階を授かっています。その後、居城である春日山城にも法音寺を創建し篤く庇護し、跡を継いだ上杉景勝の移封と共に随行し、最終的には米沢城(山形県米沢城)の城内に境内を構え上杉家の墓守寺となっています。当地の法音寺は新たに坂戸城の城主になった堀直寄に庇護され慶長5年(1600)に寄進状が残され南魚沼市指定文化財に指定されています。 越後八十八観音霊場の第八十三番札所。

法音寺(南魚沼市):周辺の見所

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