明石城(切手門): 月照寺

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明石城(切手門)−月照寺
【 明石城(切手門):概要 】 明石城の切手門は明石藩主の居館がある居屋敷曲輪の正門だったとされます。明石城は元和3年(1617)に松本藩(本城:松本城)8万石から小笠原忠真が当地に10万石で入封、当初はこれまで中心的な役割を持った船上城に入りましたが、明石の地に新たな本拠地を求められた為、元和5年(1619)に築城されました。明石城切手門は伏見城(京都市伏見区桃山町)の城門を2代将軍徳川秀忠から賜り当地に移築されたと伝えられていますが、一方、寛永8年(1631)に三の丸下屋敷台所が出火元となり本丸も全焼したとも伝えられ、現在では火災で焼失後に再建されたものと推定されています。明治4年(1871)の廃藩置県により明石藩が廃藩となり、それに伴い明石城も廃城、多くの施設が払い下げ、又は破却され、切手門は月照寺が買い取り山門として現在地に移築されました。

月照寺山門は切妻、本瓦葺き、一間一戸、薬医門。

【 場 所 】 月照寺−兵庫県明石市人丸町

【 備 考 】 昭和45年(1970)5月21日:明石市指定文化財

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