小矢部市・埴生護国八幡宮

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【 概 要 】−埴生護国八幡宮の創建年は判りませんが、伝承によると養老年間(717〜724年)に宇佐八幡宮の祭神を祀ったとされます。奈良時代の貴族・歌人で三十六歌仙の一人に数えられた大伴家持が天平18年(746)、越中国守に赴任すると埴生護国八幡宮に参拝に訪れたとも云われています。平安時代末期、木曽義仲が平家が陣取る倶利伽羅峠に着陣する際に埴生護国八幡宮で戦勝祈願すると八幡神の使いと思われる白い鳩が3羽出現し、倶利伽羅峠の戦いを木曽義仲の勝利に導いたとされます。境内に導かれている「鳩清水」は白鳩の導きにより得られた霊水とされ「とやまの名水 五十五選」に選定されています。その後も歴代領主や武将などから信仰され源義仲願文写し、蓮沼城主遊佐新右衛門慶親の感状(永正3年:1506年の婦負郡寒江合戦、東礪波郡栴檀野芹谷合戦)、武田信玄書状(永禄11年:1568年の松倉村金山合戦)、畠山義耀(元亀2年:1571年)、佐々成政寄進状(天正9年:1581年・天正10年:1582年)、前田利長(天正14年:1586年社領寄進・慶長5年:1600年、戦勝祈願など数10通)、義仲の上刺の矢、矢じり、豊臣秀吉の兜・小牧山陣立などが残され、その内45点が「埴生護国八幡宮文書」として富山県指定文化財に指定されています。戦国時代末期に領主となり加賀藩主となった前田家が祈願所として篤く庇護し、慶長年間(1596〜1615年)には初代加賀藩主前田利長から「護国」の称号が与えられ、江戸時代前期には度々祈願を行い、念願成就するとその都度社殿が造営、現在でも当時の建物が数多く残され国指定重要文化財に指定されています。古くから神仏習合し最盛期には別当寺院として実光房宝積房、愛染房、王蔵房、遍照房、修行房、千手房、本覚房の8坊が祭祀を司り、中世は武装化し大きな武力を所有していましたが、明治時代に入ると仏式が一掃され正式な神社となりました。


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