富山県・富山市

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富山市:一覧

内山邸
内山邸
概要: 内山家は大永・享禄年中にこの地に土着すると新田開発を推し進め大地主となりました。江戸時代に入ると歴代十村役(大庄屋)を勤め大きな影響力を持ち1千石地主と呼ばれました。国登録有形文化財に指定されています。
富山寺
富山寺
概要: 創建は神亀元年、越中巡教でこの地を訪れた行基によって開かれたのが始まり。当初は現在の富山城付近にありましたが、前田利家が富山城を築く際、現在地に移され寺号を普泉寺と改称しています。富山との地名に由来したとも。
中島閘門
中島閘門
概要: 中島閘門は昭和3年に富山港と富山駅北側を結ぶ工業地帯を形成するために計画された富岩運河の施設で昭和9年に完成しています。昭和初期に造られた閘門の遺構として貴重な存在で国指定重要文化財に指定されています。
金岡邸
金岡邸
概要: 金岡家は代々売薬業を営んでいた家柄で、明治時代以降は電気事業や教育事業など広く家業を広げ当地域を代表する豪商です。金岡邸は当時の薬種商の典型的な構をよく残している貴重な建物として国登録有形文化財。
各願寺
各願寺
概要: 創建は大宝年間、文武天皇の勅命により仏性聖人が開山したのが始まり。天皇の勅願所として寺運が隆盛し最盛期には寺坊が3000余を数え大きな影響力を持ちまし。江戸時代に入ると富山藩主前田家から庇護された。
朝日の滝
朝日の滝
概要: 古くから霊験がある滝として信仰されてきました。伝承によるとハンセン病の患者が滝に打たれていると、突然、神の使いと思われる白蛇が現れ、患部を舐めると病が平癒したと伝えられています。当時は茶屋や旅籠が立ち並んでいた。
五百羅漢
五百羅漢(長慶寺)
概要: 創建は天明6年に日輪当午禅師が開いたのが始まり。境内は富山平野を一望でき立山連峰が望める景勝地で本尊が「桜谷大仏」と呼ばれる大仏だったことから広く信仰されました。五百羅漢は篤く守られ富山市指定文化財に指定。
光厳寺
光厳寺
概要: 創建は長禄2年、天叟祖寅が開いたのが始まり。当初は増田城の城下に創建されましたが後に守山城下に移り、城主である神保氏の菩提寺、江戸時代に入ると富山藩前田家の菩提寺となり明治維新まで富山藩から庇護されます。
大法寺
大法寺
概要: 創建は慶長11年、照盛院日行上人が日蓮宗の寺院として開いたのが始まりと伝えられています。富山藩2代藩主前田正甫は釈迦牟尼仏立像を寄進するなど日蓮宗に深く帰依していたところから前田家歴代の菩提寺と定めています。
長岡御廟
長岡御廟
概要:  長岡御廟は旧富山藩主前田家歴代の廟所です。この地は初代藩主前田利次が富山城を築こうとした場所で、利次が亡くなると2代藩主前田利甫が縁の地を御廟としました。御廟の正面に大きな鳥居がある独特な境内です。
岩瀬
富山市岩瀬・町並み
概要: 岩瀬湊は古くか良港として知られ、室町時代に成立した「廻船式目」で三津七湊に数えられていました。当時は西岸にありましたが、江戸時代の大洪水により現在地に遷されています。現在でも良好な町並みが残されています。
八尾・町並み
富山市八尾・町並み
概要: 八尾は桐野山聞耳寺の門前町として成立した町で、江戸時代には飛騨地方を結ぶ飛騨街道と二ツ屋街道の2つの街道に通じる事が出来る交通の要衝として富山藩随一の交易市場町として発展し「富山藩の御納戸」と呼ばれました。
来迎寺
来迎寺
概要: 来迎寺は大宝元年に開かれたのが始まりと伝えられています。当初は立山説法ケ原に境内を構え立山権現の別当寺院として信仰の一翼を担いましたが、その後念仏道場として整備され江戸時代になって現在地に移ってきました。
宝寿院
宝寿院
概要: 宝寿院は鎌倉初期に建部良瞬により開かれたと伝えられています。古くから隣接する武部神社とは神仏習合してきましたが、明治時代の神仏分離令に従い独立しています。山門は江戸中期の建物で富山市指定文化財に指定。
 
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