山梨県・甲府市・金桜神社

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【 概 要 】−金桜神社の創建は崇神天皇の御代、全国に疫病蔓延した為、天皇の勅願で諸国に神社が建立されることになり、甲斐国では金峰山山頂に少彦名命の分霊が勧請されました。景行天皇40年(110)、日本武尊が東夷東征の際当社に参拝に訪れ大己貴命と須佐之男命の分霊を勧請合祀し金桜神社の社殿の造営を当時の甲斐国造塩海宿禰に命じ現在地に里宮を創建したと伝えられています。雄略天皇10年(466)、御岳山に社殿が造営され、さらに大宝2年(702)大和国金峰山から蔵王権現と金精大明神の分霊を勧請合祀、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳には式内社として記載され甲斐国の惣社とも云われました。古くから神仏習合の形態となり最盛期には日本三御嶽、三大霊場などと称され社僧100余名が常時奉仕していたとされ、関東や越後(現在の新潟県)、佐渡(現在の新潟県佐渡市)、信濃(現在の長野県)、駿河(現在の静岡県)などに信仰を広げました。歴代領主にも崇敬され、甲斐源氏の祖とされる源清光(一族である佐竹氏に敗れ、甲斐国に追放され、その後は甲斐国で勢力を拡大、後裔は武田氏や逸見氏、加賀美氏、安田氏、浅利などを輩出)が社殿を造営、鎌倉幕府5代執権北条時頼が大般若経を奉納、日蓮(鎌倉時代の高僧、日蓮宗の宗祖)が法華経を奉納、大井夫人(武田信虎の正室、武田信玄の生母)が住吉蒔絵手箱を奉納、武田勝頼(武田信玄4男、武田家当主、躑躅ヶ崎館の城主)が能面八面を奉納、仁科五郎(武田信玄の五男)が武具散蒔絵鼓胴を奉納、江戸時代に入ると甲府城主の祈願所として庇護され朱印10石1斗が安堵されました。金桜神社の旧社殿は中宮本殿が鎌倉時代の建築で、東宮本殿が室町時代の建築、さらに彫刻は左甚五郎作の昇り龍、降り龍などが施された壮麗なもので国指定重要文化財にそれぞれ指定されていましたが昭和30年の大火により両社殿を含む金桜神社の境内一帯が焼失し社殿13棟が灰燼に帰しました。現在社殿は再建され、境内は秩父多摩国立公園に属し、昇仙峡とともに観光名所となり多くの参拝客が訪れています。

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