卑弥呼は邪馬台国の女王か?

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邪馬台国は「倭」に存在するのか

多くの説で一番良く見られるのは卑弥呼が邪馬台国の女王であるという事に疑問を持たない事です。確かに文脈からは「邪馬壹國女王之所都」の「女王」は壱与ではなく、卑弥呼を指している事に間違いはありませんが、もう一度じっくり読み進める事が大事です。

「倭國亂相攻伐歴年乃共立一女子爲王名曰卑彌呼」

上記は魏志倭人伝の一文で「倭国は乱れて互いを攻め合い年を重ねました。そこで、共立して一人の女子を国王としました。名を卑弥呼と言います。」と訳されます。この一文より、卑弥呼は倭国王である事が判ります。前ページ(国とは)により、倭国は「狗邪韓国」、「対馬国」、「壱岐国」、「末盧国」、「伊都国」、「不弥国」の6カ国で構成されている国で、邪馬台国は含まれていない事から、卑弥呼は邪馬台国の国王でない事が判ります。又、女王国の21カ国に倭国の6カ国が含まれていない事から、女王国の国王でない事が判ります。

「制詔親魏倭王卑彌呼」

上記は魏志倭人伝の一文で「卑弥呼は親魏倭王に制詔された。」と訳されます。この一文より、卑弥呼は倭王になった事が判ります。今までは倭国(狗邪韓国・対馬国・壱岐国・末盧国・伊都国・不弥国)の国王だったものが、「倭」の中に位置する倭国6カ国、女王国21カ国、邪馬台国、投馬国、狗奴国で合計30カ国の王になった事が判ります。そういう弱い意味で、邪馬台国と女王国の国王は卑弥呼とも言えるという事にもなります。

「太守弓遵遣建中校尉梯儁等奉詔書印綬詣倭國拜假倭王并齎詔賜金帛錦ケイ刀鏡采物」

上記は魏志倭人伝の一文で、太守(帯方郡の最高位)の命を受けた役人が倭国を訪れ倭王に謁見し、預けられた品々を授けた事が記載されています。この一文から倭王と同義である卑弥呼が倭国を構成している狗邪韓国・対馬国・壱岐国・末盧国・伊都国・不弥国の何れかの中に居た事が判ります。

「郡使往來常所駐」

上記は魏志倭人伝の伊都国を紹介する一文で、伊都国に帯方郡の役人や使者が常駐する国である事が判ります。その前文と合わせると、倭国の中の伊都国に倭王(卑弥呼)が居た事が判ります。

倭王(卑弥呼)の居た伊都国と、女王(卑弥呼)の都の所である邪馬台国は同じ様に感じます。しかし、伊都国と邪馬台国は同義ではありません。邪馬台国は7万戸(伊都国は千余又は万余戸)を擁し、帯方郡から南方に水行10日、陸行30日の所に位置しています。又、伊都国は倭国ですが、邪馬台国は倭国ではありません。

【 まとめ 】−以上の事から卑弥呼は倭国王(6カ国を統括)として共立され、後に魏の天子から倭王として認められた事が判ります。必然的に倭国の中の中心的な国である伊都国に都を構えていたとみるのが自然と思われます。しかし、「邪馬壹國女王之所都」の一文がある為に読み手があたかも邪馬台国が存在し、女王である卑弥呼の都があると勘違いしてしまうのです。

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