「度」と「渡」編

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邪馬台国は「倭」を存在するのか

魏志倭人伝では「度」と「渡」を明確に書き分けています。とは言っても、「度」が使われたのは狗邪韓国から対馬国の間の1回、「渡」が使われたは対馬国から壱岐国と壱岐国から末盧国、女王国から倭種が住む国々の間の3回限りです。そこで「度」には「タビ」という別の呼び方があり、その意味は「繰り返す(度々・その時ごと)」という事に着目しました。狗邪韓国から対馬国に向かう際には「方位」が記されていない事から一里の値が108.5mから54.25mに切り替わる事を他ページ(「方位」のあるなし)で述べました。すると、対馬国の距離を示す際は一里54.25mとなりますが、ここで「度」の字を記す事で、一里108.5mを繰り返して使用する意味では無いかという考えに辿り着きました(「魏略」では全て「度」が使用されています)。

対馬国の国境の北西端から、国境の南東端まで地図上の道路を大凡辿ると約90キロ程になります。90キロを一里108.5mで割ると約833里となります。魏志倭人伝では対馬国を紹介する一文に「方4百里」との記述があり、その2方分を加えると800里となります。陳寿がどの様な考えがあったのかは判りませんが、偶然にも近い数字である事から、対馬国の長さ(距離)は陳寿が示した800里が妥当と考えます。

壱岐国の国境北端から、国境南端まで地図上の道路を大凡辿ると約18キロ。対馬国と末盧国の間は「方位」が記されていない事から一里の値が54.25mから27.125mに切り替わり、「渡」と記している事から、長さ(距離)を測る際も同様に一里27.125mを使用します。18キロを一里27.125mで割ると約664里となります。魏志倭人伝では壱岐国を紹介する一文に「方3百里」との記述があり、その2方分を加えると600里となります。陳寿がどの様な考えがあったのかは判りませんが、偶然にも近い数字である事から、対馬国の長さ(距離)は陳寿が示した600里が妥当と考えます。

魏志倭人伝より早く成立したとされる「魏略」の逸文には対馬国の「方四百里」の記述が無く、壱岐国は「地方3百里」と記載され「方」は面積というよりも、一方向(長さ)が3百里(54.25m×3百里÷1000=16.275m)と解釈できます。そして魏略には国の間の里数が抜ける場合もあり、合算しても1万2千余里にはならない事から、全くの想像ではありますが、距離が記されていない部分は合計1万2千余里になるように陳寿が創作した可能性が高いと思われます。「方3百里」とする事で27.125m×6百里=16.275mとし、魏略に比べて一里あたりの値を2分1にして逆に里数を2倍に嵩上げし、対馬国は方4百里=8百里を新たに付け加えたのかも知れません(そもそも、対馬国は縦長で正方形には全く似ていません)。

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