・澤井家は室町時代に足利将軍家に仕えた家柄で、戦国時代に15代将軍足利義昭が織田信長から将軍の座を追われた事で、同じく義昭に仕え足利家没落後に織田家に転じた細川藤孝(細川幽斎)の家臣となりました。
元和7年に細川忠興の6男岩千代(後の松井寄之)が八代城主(城代)で細川家筆頭家老松井興長(長岡佐渡守、松井康之の次男)の養子になった事から、忠興の命で当時の当主である澤井清三郎正重が直臣として松井家の家臣に転じ用人・奉行などの要職を歴任しました。
澤井家住宅主屋は慶応元年(1865)に建てられた建物で、棟梁は内山健太、木造平屋建て一部2階建て、寄棟、桟瓦葺き、平入、書院風武家屋敷、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、腰壁は板張り、建築面積254.33u、延床面積294.66u。
内部は格式の高い式台付玄関があり、接待空間である6帖敷の次の間、8帖敷の表座敷があり、主室には床の間、棚付の脇床、付書院を設けた当家内では一番凝った造りとなっています。
又、主屋が平屋なのに対して南側に突出させた奥座敷棟が2階建で、武家屋敷で重層階は珍しく、幕末となり既成概念が崩れていたのかも知れません。
長屋門は江戸時代末期頃に建てられた建物で、切妻、桟瓦葺き、真壁造り白漆喰仕上げ、腰壁は下見板張り、一部厩として利用、武者窓付、建築面積45.45u、延床面積43.57u、附属している塀は延長22.0m、桟瓦葺き、白漆喰仕上げ、腰壁は下見板張り。
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