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神社山門: 日高神社 |
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日高神社 |
【 呼び方 】−ひたかじんじゃ 【 概 要 】−日高神社の創建は古くからの水沢の鎮守で、弘仁元年(810)、嵯峨天皇の勅命により勧請されたのが始まりと伝えられています。一方、元々は蝦夷の人達の国だった日高見国の神が祭られていたとされ、延暦21年(802)に坂上田村麻呂が当地に侵攻し平定した事を受け、朝廷(天皇)縁の神に差し替えられたと推定されています。その後は歴代領主である伊沢氏(留守氏)、奥州藤原氏、水沢伊達氏などから崇敬庇護され当地域の中心的な神社として社運も隆盛しています。 【 場 所 】−岩手県奥州市水沢区日高小路 【 構 造 】−切妻、銅板葺、一間一戸、薬医門 【 備 考 】−日高見国については諸説ありますが、奈良時代に編纂された歴史書である「日本書紀」の景行天皇27年2月27日条によると「武内宿禰、自東國還之奏言「東夷之中、有日高見國、其國人男女、並椎結文身、爲人勇悍、是總曰蝦夷。亦土地沃壤而曠之、撃可取也。」秋八月、熊襲亦反之、侵邊境不止。」とあります。 武内宿禰は景行天皇25年に北陸と東方諸国の視察を行い、その報告が景行天皇27年に成されました。それによると「東方には日高見国と呼ばれる国があります。その国は男も女も、髪を結い入れ墨をし、勇敢です。これを蝦夷と言います。土地は広くで肥沃なので討ち取った方が良いでしょう。」と語りました。「日本書紀」だけ見ると日高見国は蝦夷が住まう東北地方を指しているように感じます。 日高神社が日高見国の神を祭っていたかどうかは今となっては証明する事は出来ませんがロマンのある話だと思います。 日高神社:動画
日高神社・岩手県奥州市水沢日高小路:付近マップ(古地図風)
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