【 麻呂子親王 】−麻呂子親王は第31代用明天皇と葛城直磐村出身の廣子(古事記によると當麻の倉首比呂の女)との間に生れた第3皇子である当麻皇子と同一人物とされ、聖徳太子とは異母弟に当たります。推古天皇11年に征新羅将軍に就任し、難波の港から出陣したものの、播磨国明石に差し掛かった際、配偶者である舎人皇女(欽明天皇の皇女)が薨去した事から、明石で葬儀を行った後に難波に引き返したとされます。
【 鬼退治伝説 】−河守荘三上ヶ嶽(現在の大江山)に英胡・軽足・土熊と呼ばれる悪鬼が巣食い、度々里に降りて来ては悪行三昧を繰り替えた事から用明天皇は麻呂子親王に討伐を命じました。
親王は七仏薬師に戦勝祈願を行うと兵を率いてい進軍し、仙人の化身と思われる老人が献上した白犬に導かれ本拠地に接近しました。
決戦の前には自ら七躯の薬師如来像を彫刻し、もし勝利を得る事が出来れば当国に七寺を開山し、それぞれを本尊として奉斎する事を誓いました。
河守荘三上ヶ嶽の鬼の岩窟では激しい戦いの末、英胡、軽足を討ち取り、最後は神鏡の力を借り土熊も封じる事が出来ました。
親王は神意と仏意に感謝し、天照大神を祀る社殿を造営、丹後国に七ヵ寺を開山し七仏薬師をそれぞれ安置し、その内の1ヵ寺が円頓寺だと伝えられています。
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