金性寺(福島県・南相馬市)概要: 金性寺は室町時代末期の永禄12年(1569)に相馬盛胤が正室(懸田義宗の娘)の位牌を安置する為に創建した寺院です。相馬盛胤は相馬家15代当主で小高城を居城として相馬地域を支配し、周辺が伊達領と接していた事から両家の争いが絶えませんでした。そこで、伊達家11代当主伊達持宗の庶長子で、懸田詮宗の養子となった懸田義宗の娘を正室に迎え入れる事で両家の絆を深めようと画策しました。しかし、周辺の豪族とも縁戚関係だった事から関係は複雑化し長く戦乱が止むことがありませんでした。創建した寺院は当初は錦繍寺と称していましたが、正室の戒名「金室妙仲大禅定尼」に因み金室山金性寺に寺号を改めています。居城である小高城の城内には相馬家の崇敬社である小高神社が鎮座し金性寺はその別当寺院として庇護の対象となり、相馬家が居城を中村城(福島県相馬市)に移った後も寺運を維持し堂宇の造営や寺領の安堵が行われました。明治時代の神仏分離令により、小高神社とは分離する事が余儀なくされ、明治22年に現在地に境内を移しています。山門は入母屋、鉄板葺、三間一戸、八脚楼門。
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